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『月に吠える』(日野裕太郎・イトウツナシ)

判型:文庫版 オンデマンド 42ページ 頒布価格:300円

天空の月は消滅し、地表に届く月光もいずれ消える

月光鑑賞ツアーの飛行船で働くイオノンは、ラウンジでひとり過ごす少女に目を止める。
「月と海だけの場所に行きたいんです」
そして少女が語り出した願いは……

【カテゴリ】

短編 | SF | 少女 | 宇宙

【サンプル】

        1
 
 とうに月は消滅したのに、まだ月光は地表に降り注いでいる。
 月光は月の名残であり、だがいずれ消えるものだった。
 失われるものを悼む気配はないが、月光浴がにわかに流行り
はじめた。
 海を行き空を行き、山河に分け入り月の遺物を求める彼らを、
ロマンチシストと呼ぶか酔狂と呼ぶか。
 すくなくとも、彼らを歓迎するものたちがいた。
 旅行会社だ。
 繊細な光を浴びることにより、ナチュラルな自分に回帰でき
る──それが最近一番よく聞く宣伝文句だった。某大企業がス
ポンサーに入った月光浴ツアーのコマーシャルで、そんなナレ
ーションを人気女優が明るい声で入れている。
 くだんの大企業が供する旅は、上等な料理と快適な環境が用
意された巨大客船で進行する。そこで月光浴を楽しむのだ。
 消えゆきそして戻らないものを楽しむために、莫大な費用が
必要とされるにも関わらず、その月光浴ツアーは好評を博して
いた。
 後に続けとばかりに、多種多様なツアーが各社から展開され

た。
 そのうちのひとつ、セレネ社が主宰する飛行船ツアーも盛況
で、予約受付を開始するや否や、瞬時に満了となった。
 快適な旅路のため、もてなすべく立ち働くものたちも飛行船
に同乗する。
 その日もイオノンは、ぴったりと身体の線が出る制服に身を
包み、職場に向かうため部屋を出た。
 
 
「お飲みものはいかがなさいますか」
 いつも窓から遠い、観葉植物の横の席にすわる女性に、イオ
ノンは声をかける。彼女の前のグラスは空になっていた。
 女性──少女と呼ぶ方がしっくり来る見た目の彼女は、フー
ドのついた丈の長いワンピースに身を包んでいる。フードを被
り、指先と顔だけがのぞく重たげな姿である。
 のぞく少女の顔立ちは整っていた。笑ったらさぞ麗しいのだ
ろうが、イオノンは一度も彼女が微笑むのを目にしていない。

「ソーダを」
「かしこまりました」

 彼女は声がほそく、また肩も薄い。
 こんなこどもをひとりで旅に出すなんて、とイオノンは思っ
てしまう。
  彼女自身は周囲に臆しているようでもなく、だが楽しんで
いる風情もない。強いていうなら、つねにあたりに気を張って
いるようだった。
 彼女はいつもソーダやミネラルウォーターを注文し、離れた
窓の外にじっと目を向けている。
 イオノンが働く飛行船のラウンジでは、酒肴のみならず軽食
やデザートも用意されていた。何度かデザートを勧めたが、彼
女が注文することはなかった。
 ラウンジを訪れる客たちは、どの顔もゆるんでいる。空の旅
と月光を楽しんでいる姿のなか、表情のない彼女は異質だった。
同伴者のない単独参加者は、静かに過ごす彼女だけ。
 自分より年下の彼女の目に、月光はどう映っているのだろう
か。
 機会があれば尋ねてみたかったが、少女はどうにも社交的と
はいい難い。
「オーダーを」
 声がかかって、イオノンはそちらを向く。

 ソーダはべつのウェイトレスが運び、その日それ以上少女と
言葉を交わすことはなかった。
 
 
















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