駄文の王様 > 日野 裕太郎/さつきの本 > 淀んだ川で待っている

image

『淀んだ川で待っている』(日野裕太郎)

【ファンタジー中編】

剣も呪文もない土着系ファンタジー「手業の民の物語」シリーズ。

よいものと悪いものを見定めることができるリーリは、祈祷師センの元にやってきた。
お茶をいれ焼き菓子を作り、リーリは祈祷所にやってくる村の娘たちの悩みをほぐす。

村の娘のための儀式に参加したリーリは、そこで自らの過去と向き合い、センの弟子として祈祷師への道を歩み出す。

文庫 約45ページ(1ページ 39字詰め 18行)

「ところで、神さまの川がどうのって、ほんとうなんですか?」
「さあねぇ」
祭壇の後ろに掃除道具が隠してあり、セン師が取り出したほうきを受け取る。
「お祈り、効き目あったんですか?」
「そりゃあ、あったよ。一番口うるさそうな娘さんが、ほっとした顔をしてたからねぇ」
セン師は満足げだ。
「これで悪夢がどうの、って話はなくなるはずだよ。だけど気の弱そうな子が、まだ不安そうにしてた。あの子はまた来るよ。そしたらおいしいお茶でも出してやったらいい」
客の滞在時間は短かったのに、掃除をすると案外糸くずだのが落ちている。
「あの子らの悪夢がどうのって、嘘だったんですか?」
「いいや、ひとりがそんな気がする、って話をしたんだろ。仲がいいだろうからね……ずっと仲良しでなきゃならないだろうから、ひとりがそういったら、みんなそうなる。そんなもんさ」

【ブログや掲示板で取り上げていただきました】

» 淀んだ川で待っている::Text-Revolutions
山場は2つある。 現在に繋がる男の末路と、過去に投げ捨ててきた縁の断末魔。どちらもリーリは酷く枯渇している。 それなのに足許をひたひたと流れる川。

【サンプル】

 1
 
「夢が汚染されているんだね」
 難しい顔の祈祷師センの言葉に追従するように、リーリは何
度かうなずいた。
 一同に会した夢見が悪いという娘たちは、セン師の言葉に身
震いをしている。
 セン師が右手を差し出し、すかさずリーリはトネリコの枝を
渡した。
 祭壇に向かってすわり直したセン師は、枝を振りかざし大き
な身振りを交え、祈りの言葉を唱えはじめた。
 リーリはそっと部屋のすみに移る。そして神妙にセン師の祈
りを見つめる娘たちを横目に、やはりそっと部屋を出た。
 足音を立てないように気をつけ、リーリは隣室に入った。木
造の古い家は、きしむ音がひどく大きい。祈りの場にきしむ音
が届きでもしたら、水を差すことになるかもしれない。そう思
うだけで冷や冷やさせられる。
 隣室でリーリは手早く香を焚いた。
 ほそい煙りが立ちのぼる。甘みのあるかおりで、緊張を解く
効能があるものだ。

 隣室──祭壇のある祈祷室の壁には、神霊の姿を模したタペ
ストリーが飾られている。そのタペストリーは壁にある穴を隠
したものだ。
 この隣室で香を焚くと、穴からかおりが流れていくようにな
っていた。タペストリーがあるため、香は強烈にかおるのでは
なく、なんとなく鼻をくすぐるていどのものになる。
 安くない香であり、リーリの好みのかおりだった。
 立ちのぼるかおりを堪能したいが、身体に染みつく前に部屋
を出る。
 娘たちが帰るときに持たせるものを取りに、今度はセン師の
作業場に急いだ。
 作業場の大机には、魔除けの印章が黒々とした護符と、トネ
リコの枝でこしらえた魔除けの飾りが置かれていた。
 祈祷所で居住まいを正していた娘たちは、一昨日相談に現れ
た。全員が若く、年頃の娘が団体で祈祷師の家を訪ねるなど、
めずらしい事態だといえる。
 全員夢見が悪いと訴え、顔色を悪くしていた。
 出したお茶も菓子も平らげた娘たちに、食欲もあるし騒ぎす
ぎではないか、とそのときリーリは思った。
 が、おくびにも出さず、セン師のかたわらでリーリは不憫そ

うな表情を心がけたものだ。
 その場で祈祷の日取りを決め、娘たちが帰っていくなり、セ
ン師とリーリは忙しくなった。
 遅くまで護符づくりにセン師は精を出しはじめ、手伝うリー
リもおなじく夜更かしになる。
 ──効き目があるんですか?
 眠い目をこすりながら作業場でそう尋ねたリーリに、セン師
は疲れを知らないような笑顔で返した。
 ──効き目があるかは、あの子たちが決めることだよ。
 セン師が唱える祈りの声は、ここまで届いている。護符がき
ちんと人数分そろっているか確認したリーリは、それらを布に
くるんで抱えた。
 祈祷所の前の廊下に立ち、祈りが済むのを待つ。二度あくび
をし、低く歌うような調子に変わった祈りに耳をかたむけた。

 両開きの戸にそっと手をかけ、音を立てないようにしてリー
リはなかに入った。
 ふいに祈りの声が止まった。二呼吸ほどの間を置き、娘たち
のため息が聞こえてくる。それなりに緊張していたのだろう。

 祭壇を前にしたセン師は、にこにこと柔和な顔で娘たちに向
き合った。
「これであたしの祈祷はおしまいだ」
 低い声でセン師が切り出すと、娘たちはとなりの顔と視線を
交わし、ぎこちない微笑みを浮かべる。
 いかつい顔つきの彼は、自分を「あたし」と呼ぶ。顔が怖い
からせめて言葉はやわらかく、との意図らしい。
「夢っていうのは、川のようなものでね。あたしら人間の意識
できない場所で、みんなの夢同士がつながっているんだ。そし
てそこは、神霊の場所なんだよ」
 なにやら講釈がはじまって、娘たちの背筋がのびた。後ろか
ら見ていて、なんだかおもしろい。
「神霊だって、ときには機嫌の悪いことがあるんだろうね。そ
ういうとき川の流れが影響を受けて、あたしら人間は悪い夢を
見たりする。川の水が濁ってても、流れがはやくても、澄んで
静かな流れだとしても、こちらからは一切わからないんだ。状
況を知ろうなんて、あたしらにはできやしない」
 セン師が娘たちを見回すと、彼女たちは一様にうなずいた。
「そうはいっても、川のことを克明に判断できるもんがたまぁ
にいる。で、それができたらあたしら祈祷師の仲間入りだね。

ふつうの暮らしは、そういうやつにはしんどいもんだ」
 目配せをしてきたので、リーリは屈んだ姿勢で祭壇に近づき、
セン師に布包みを渡した。
 彼女たちの興味は包みに注がれ、リーリはまたそっと後方に
戻った。
「まあ、川の状態がわからないっていっても、こどもは敏感な
ものでね。けっこう感じ取ってしまうことがあるんだ。こども
からおとなになっていく、あんたらみたいな若い娘さんも、気
持ちが豊かで敏感でしょう。敏感なもんだから、感じ取って影
響を受けて、夢見が悪くなってしんどい思いをしたりする」
 開いた布包みから護符と魔除けの飾りを取り出し、セン師は
ひとつずつ娘たちに配っていく。
 ありがたそうに彼女たちは拝領していて、つくった甲斐があ
った──リーリは報われた気分になって、ひとり息をついてい
た。
「災難だったねぇ、もう大丈夫……といってやりたいとこだけ
ど、川の水を一番浴びてる娘さんがいるはずだ。誰かしら、悪
夢とまでいかなくても、夢見の悪い子が残る。そしたらその子
は、またここに来たらいい。もう一回くらいで片がつくだろう
から。まあ、魔除けを飾ってもらえば、なにも起こらないです

むかもしれないけどね」
 おたがいの顔を見る娘たちの目に、うかがう薄暗いものがよ
ぎった。セン師が一度手を鳴らすと、それも消える。
「おつかれさん、まあ夢見が悪くなくっても、ひまがあったら
お茶を飲みにおいでなさい。たまにはあんたらの話も聞きたい
から、散歩がてら遊びに来るといい」
 ありがとうございます、と全員頭を下げ、それで解散となっ
た。
 リーリはいちはやくおもてに出て、待機していた彼女らの母
親にお辞儀をする。
「祈祷は無事すみました」
 目に見えてほっとした様子の母親たちは、おしゃべりをしな
がら姿を現した娘たちを連れ、ぞろぞろと帰っていく。
 その姿が見えなくなるまで見送って、リーリは家に戻った。
「みなさんお帰りになりました」
 祈祷所でそう声をかけると、娘たちに出した座布団を抱えた
セン師は、リーリに笑顔を向けてくる。
「いや、座布団が足りてよかったよ。いっぺんにあれだけの人
数を入れたことがないからねぇ」
 娘たちは総勢八名だった。祈祷所はさほど広くない。そのた

め母親たちにはおもてで待ってもらうことになったのだ。
「来たときと違って、ずいぶんにぎやかに帰っていきましたよ」
「そりゃよかった」
 老いをまとったセン師は、顔をしわくちゃにして笑った。
「ところで、神さまの川がどうのって、ほんとうなんですか?」
「さあねぇ」
 祭壇の後ろに掃除道具が隠してあり、セン師が取り出したほ
うきを受け取る。
「お祈り、効き目あったんですか?」
「そりゃあ、あったよ。一番口うるさそうな娘さんが、ほっと
した顔をしてたからねぇ」
 セン師は満足げだ。
「これで悪夢がどうの、って話はなくなるはずだよ。だけど気
の弱そうな子が、まだ不安そうにしてた。あの子はまた来るよ。
そしたらおいしいお茶でも出してやったらいい」
 客の滞在時間は短かったのに、掃除をすると案外糸くずだの
が落ちている。
「あの子らの悪夢がどうのって、嘘だったんですか?」
「いいや、ひとりがそんな気がする、って話をしたんだろ。仲
がいいだろうからね……ずっと仲良しでなきゃならないだろう

から、ひとりがそういったら、みんなそうなる。そんなもんさ」
 リーリの掃除の手が止まっているのに気がついて、セン師は
顔のしわをさらに深くした。笑顔だったが、威嚇するみたいな
顔つきになっている。
「悪気はないんだよ」
 帰っていった娘たちの顔を思い浮かべる。
 ひとりがそうといえば、同調しなければならないだろう。
 そして同調するうちに、そうだと災難を信じこんでしまって
もおかしくないかもしれない。
「悪気がないからこそ、大事になる前に始末した方がいいんだ」
 祭壇の細々したものを盆に載せ、セン師は笑顔らしい笑顔を
浮かべた。
「あたしらも、お茶で一服しよう。いや、たくさんひとが来る
と気忙しいもんだ」






同人誌

»「下町飲酒会駄文支部」

「下町飲酒会駄文支部」というサークルで、コミケ、コミティア、文学フリマなどに参加しています。

...ほか、既刊多数あります。

» 日野裕太郎作品レビュー

Amazonのレビューやtwitterでいただいた感想、とりあげていただいたブログ記事などの一覧です