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『淀んだ川で待っている』(日野裕太郎)

判型:文庫版 コピー 52ページ 頒布価格:200円

忘却にとらわれた娘は、流浪の旅のなか摩耗していっていた。
身を寄せた祈祷師のもと、彼女が決意することとは。
剣や魔法の出てこない、土着系ファンタジー中編です。

【カテゴリ】

中編 | 土着

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淀んだ川で待っている::Text-Revolutions
山場は2つある。 現在に繋がる男の末路と、過去に投げ捨ててきた縁の断末魔。どちらもリーリは酷く枯渇している。 それなのに足許をひたひたと流れる川。

【サンプル】

        1
 
 夢が汚染されているのだ、と難しい顔をする祈祷師センに、
リーリは追従するようにうなずいた。
 夢見が悪いという娘たちが一同に会し、セン師の言葉に身震
いしている。
 セン師が右手を差し出し、すかさずリーリはトネリコの枝を
渡す。
 祭壇に向かい枝を振りかざし、セン師が祈りの言葉を唱えは
じめた。
 リーリはそっと部屋のすみに移る。そして神妙にセン師の祈
りを見つめる娘たちを横目に、やはりそっと部屋を出た。
 足音を立てないように気をつけ、リーリは隣室に入った。木
造の古い家はきしむ音がひどく大きい。祈りの場に音が届きで
もしたら、水を差すことになるかもしれない。そう思うだけで
冷や冷やさせられる。
 隣室でリーリは手早く香を焚いた。すこし甘みのあるかおり
で、緊張を解く効能があるものだ。
 隣室――祭壇のある祈祷室の壁には、神の姿を模したタペス
トリーが飾られている。そのタペストリーは壁にある穴を隠し

たものである。リーリがそうしているように、隣室で香を焚く
と穴からかおりが流れていくようになっていた。タペストリー
があるため、香は強烈にかおるのではなく、なんとなく嗅ぎ取
れるていどのものになる。
 安くない香であり、立ちのぼるかおりを堪能したいが、身体
に染みつく前に部屋を出る。
 娘たちが帰るときに持たせるものを取りに、今度はセン師の
作業場に急いだ。
 作業場の大机には、魔除けの印章が黒々とした護符と、トネ
リコの枝でこしらえた魔除けの飾りがある。
 一昨日相談に現れたのは若い娘たちで、めずらしいほどの団
体だった。
 全員夢見が悪いと訴え、顔色を悪くしていた。出したお茶も
菓子も平らげた娘たちに、食欲もあるし騒ぎすぎではないか、
とそのときリーリは思った。がおくびにも出さず、セン師のか
たわらでリーリは不憫そうな表情を心がけた。
 祈祷の日取りを決め、娘たちが帰るなり忙しくなった。遅く
まで護符づくりにセン師は精を出し、リーリも手伝って夜更か
しになる。
 ――効き目があるんですか?

 眠い目をこすりながら作業場でそう尋ねたリーリに、セン師
は疲れを知らないような笑顔で返した。
 ――効き目があるかは、あの子たちが決めることだよ。
 祈祷所のセン師が挙げる祈りの声は、ここまで届いている。
護符がきちんと人数分そろっているか確認したリーリは、それ
らを布にくるんで抱えた。
 祈祷所の前の廊下に立ち、祈りが済むのを待つ。二度あくび
をし、低く歌うような調子に変わった祈りに耳をかたむけた。

 ふいに祈りの声が止まり、二呼吸ほどの間を置いて娘たちの
ため息が聞こえた。それなりに緊張していたのだろう。
 両開きの戸にそっと手をかけ、音を立てないようにしてリー
リはなかに入った。
 祭壇を前にしたセン師が、にこにこと柔和な顔で娘たちに向
き合っている。
「これであたしの祈祷はおしまいだ」
 低い声でセン師が切り出すと、娘たちはとなりと顔を見合わ
せはじめた。いかつい顔つきの彼は、自分を「あたし」と呼ぶ。
顔が怖いからせめて言葉はやわらかく、との意図らしい。
「夢というのは、川のようなものなんだ。人間の意識できない

場所でつながっていてね、そこは神霊の場所なんだよ」
 なにやら講釈がはじまって、娘たちの背筋がのびた。後ろか
ら見ていて、なんだかおもしろい。
「神霊だって、ときには機嫌の悪いこともあられる。そういう
ときに川の流れが影響を受けて、あたしら人間は悪い夢を見た
りする。川が濁ってても、流れがはやくても、澄んで静かな流
れでも、こちらからは一切わからないんだ。状況を知るなんて、
あたしらにはできない」
 セン師が娘たちを見回すと、彼女たちは一様にうなずいた。
「そうはいっても、川のことを克明に判断できるもんがたまぁ
にいる。で、それができたらあたしらの仲間入りだね。ふつう
の暮らしはそういうやつにはしんどいもんだ」
 目配せをしてきたので、リーリは屈んだ姿勢で祭壇に近づき、
布包みを渡す。彼女たちの興味は包みに注がれ、リーリはまた
そっと後方に戻った。
「まあ、川の状態がわからなくっても、こどもは一番敏感だ。
こどもからおとなになっていく、あんたらみたいな若い娘さん
も、気持ちが豊かで敏感なんだ。敏感なもんだから影響を受け
て、夢見が悪くなってしんどい思いをしたりする」
 開いた布包みから護符と魔除けの飾りを取り出し、セン師は

ひとつずつ娘たちに配っていく。ありがたそうに彼女たちは拝
領していて、つくった甲斐があった――リーリはひとり息をつ
いていた。
「いや、災難だったね、でももう大丈夫……といってやりたい
どこだが、川の水を一番浴びてる娘さんがいるはずだ。誰かし
ら、悪夢とまでいかなくても、夢見の悪い子が残る。そしたら
その子は、またおいで。もう一回くらいで片がつくだろうから。
まあ、魔除けを飾ってもらってれば、なにも起こらないですむ
かもしれないけど」
 おたがいの顔を見る目に、うかがう薄暗いものがよぎった。
セン師が一度手を鳴らすと、それも消える。
「おつかれさん、まあ夢見が悪くなくても、ひまがあったらお
茶を飲みにおいで。たまには外のあんたらの話も聞きたいから、
散歩がてら遊びに来るといい」
 ありがとうございます、と全員頭を下げ、それで解散となっ
た。
 リーリはいちはやくおもてに出て、待機していた彼女らの母
親にお辞儀をする。
「祈祷は無事すみました」
 ほっとした様子の母親たちは、おしゃべりをしながら姿を現

した娘たちを連れ、ぞろぞろと帰っていく。
 その姿が見えなくなるまで見送って、リーリは家に戻った。
「みなさんお帰りになりました」
 祈祷所でそう声をかけると、娘たちに出した座布団を抱えた
セン師は、リーリに笑顔を向けてくる。
「いや、座布団が足りてよかったよ。いっぺんにあれだけの人
数を入れたことがないからねぇ」
 娘たちは総勢八名だった。祈祷所はさほど広くない。そのた
め母親たちにはおもてで待ってもらうことになったのだ。
「来たときと違って、ずいぶんにぎやかに帰っていきましたよ」
「そりゃよかった」
 老いをまとったセン師は、顔をしわくちゃにして笑った。
「ところで、神さまの川がどうのって、ほんとうなんですか?」
「さあねぇ」
 祭壇の後ろに掃除道具が隠してあり、セン師が取り出したほ
うきをを受け取る。
「お祈り、効き目あったんですか?」
「そりゃあ、あったよ。一番口うるさそうな娘さんが、ほっと
した顔してたからね。これで悪夢がどうの、って話はなくなる
はずだ。でも気の弱そうな子が、まだ不安そうにしてた。あの

子はまた来るよ。そしたらおいしいお茶でも出してやったらい
い」
 滞在時間は短かったのに、掃除をすると案外糸くずだのが落
ちている。
「あの子らの悪夢がどうのって、嘘だったんですか?」
「いいや、ひとりがそんな気がする、って話をしたんだろ。仲
がいいだろうからね……ずっと仲良しでなきゃならないだろう
から、ひとりがそういったら、みんなそうなる。そんなもんさ」
 リーリの掃除の手が止まっているのに気がついて、セン師は
顔のしわをさらに深くした。笑顔だったが、威嚇するみたいな
顔つきになっていた。
「悪気はないんだよ」
 帰っていった娘たちの顔を思い浮かべる。ひとりがそうとい
えば、同調しなければならない。同調するうちに、そうだと災
難を信じこんでしまってもおかしくないかもしれない。
「悪気がないからこそ、大事になる前に始末した方がいいんだ」
 祭壇の細々したものを盆に載せ、セン師は笑顔らしい笑顔を
浮かべた。
「あたしらも、お茶で一服しよう。いや、たくさんひとが来る
と気忙しいもんだ」

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