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『スイング・スイング』(日野裕太郎・ハルノブ)

判型:文庫版 オンデマンド 64ページ 頒布価格:400円

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高校生の円はささいなきっかけから
クラスで微妙な立ち位置になってしまった
状況を不快に思いながらも
踏み出せないまま
夏休みに入ってしまう

校外での同級生との交流
家庭教師のバイト
近づいていく、幼なじみとの距離――

ゆっくり気持ちを揺らしながら
夏が過ぎて行く

【カテゴリ】

青春 | 高校生 | ジュブナイル | ライトノベル

【ブログや掲示板で取り上げていただきました】

日野裕太郎『スイング・スイング』感想:Yuya Sakurai Official Blog
全体を通しての印象は、痛快な青春群像劇。喜びも痛みも飲み込んだひと夏の思い出。甘酸っぱい恋。
Natural maker 広報分室
誰もが悩みを持っていて、それを肯定していく。悪いことじゃないと言われることや、避難されないことは、とても嬉しいことだと気づかされる。

【サンプル】

  1
 
 八神ともるが体育館に飛びこんで来た。
 彼女がなにをするつもりなのかすぐわかって、鬼気迫る表情
にかえって落ち着かされる。
「まぁくん!」
 自分を助けに来たのだ──
 高砂円は苦笑いを浮かべる。
 全身で力んだともるは、金属バットをふりかぶっていた。あ
たりを睥睨する。彼女の勇んだ姿がおもしろくなって、円は今
度はほんとうに笑い出した。
「だいじょうぶなの、まぁくん!」
 声が反響し、円の笑い声がかぶさった。
 午後の体育館、そこにはともると円しかいない。
 彼女は間に合わなかった──もう、済んでいる。
 静かな空間に響く円の笑い声は、場違いでしかなかった。
「もお。なんなのよぉ」
 気を悪くしたらしい彼女をうながして、円はおもてに出た。
 彼女が現れたから、身体のあちこちが痛むのをひた隠しにす
る。

 だが──彼女が来てくれたからこそ、円は体育館の外に出る
ことができた。
 梅雨の合間の午後、風はひたすらぬるかった。
 
 
 しつこく、ともるはシャツの背中をはたいて来た。
 汚れがあるのはわかっている。
 靴跡が残っているのは、わかっている。
 背中を蹴られたときの感触から、相手がわざわざ靴底をぬら
して来たのだ、と予測できていた。
 ぱ、ぱ、ぱ、と軽いテンポで、ともるのちいさな手が背中を
はたく。
 その都度、肩や背中、わきや腰に鈍痛が──陰気に広がる。
「取れない」
 ともるの声が怒っていた。ふり返って確かめる気は起こらな
いし、返事をして確かめる気も起こらない。
 背中をはたく手がいい加減うっとおしくなった円は、歩く速
度をはやめた。
 おなじ速度でともるはついて来る。
 なおも背中をはたこうとするので、

「いいから、もう」
 ふり返りながら制止しが円は、ぎょっとした。
 うっすらと涙の浮かんだ目で円を見上げ、ともるはくちびる
を引き結んでいる。
「だって」
 やっとといった様子でともるが発した声はふるえていた。
「……いいから」
「だって」
「泣くなよ」
「だって」
 ともるはべそべそ泣き出してしまった。なぐさめるため彼女
のちいさな肩に手を置くか、円は迷う。さんざん迷って、結論
が出せない間にともるは泣き止んだ。
 昔からそうだ。
 ともるはすぐ泣き、すぐ泣き止む。幼なじみのそれは、円に
は悪癖に思えた。
 また円の背中をはたこうとするので、もういいから、と強め
に注意する。
 日の落ちかかった通学路に、ほかには人影はなかった。泣き
べそをかく彼女と一緒にいるところを、誰かに見られなくてよ

かった、と円は胸のうちで息を吐く。
 ゆるい下り坂を下り切る前に、ともるは機嫌を直していた。
「今度こそ、あたしぶん殴ってやるからね!」
 通学カバンから不格好に突き出た金属バットに、赤い夕日が
映りこんでいる。
「次なんか、ない方がいいだろ」
 ふっとともるが息を呑む気配がし、円はなんだか自分が意地
悪をしてしまった気になる。
 罪悪感をぬぐおうとふり向く。ともるはうつむいていた。前
髪が軽く鼻先にかかっている。昔からともるは猫っ毛だった。
高校に上がっても変わらない。
「次、ないように祈ってろよ」
 ともるは返事をしない。
 次がないわけがない──円はいじめに遭っていた。
 
 
 くだらない理由からだ。
 半月ほど前、クラスメイトの松本がふざけて教室で飛び跳ね、
金魚の水槽をひっくり返したことがある。折しも季節は梅雨の
只中だった。順番にまわって来る、飼育当番の清掃だけでは間

に合わない──水は臭かった。
 教室中に悪臭は広がった。
 巻き添えを食ったのは円で、制服の下半身がぬれてひどい思
いを味わった。
 クラス中から罵られた松本は、謝り続けていた。ちなみに、
みんなで水槽を片づけるなか機転をきかせた女生徒により、金
魚は助けられていた。
 それで終わると思っていたのだが、終わらなかった。
 翌日から、松本は円を金魚くさいというようになった。
 まわりが否定するも、松本は頑迷に持論を曲げない。そして
ちょっとした拍子に、円を小突こうとした。円は背が高い。松
本の方がすこし低かった。その円の後頭部をなんとか小突こう
とタイミングをはかる松本は、うっとうしいことこの上ない。

 最初円は、松本と──彼と親しい面々を相手取っていた。松
本の友人たちは、簡単に松本に同調したのだ。なんだこの状況
は、と円が戸惑っているうちに、相手の人数が増えていく。
 円がいると、水槽のにおいがするそうだ。
 彼らは円の反論や否定を望んでいなかった。
 円が黙って殴られ、従順に従うのを望んでいる。そうとわか

るのに、時間はかからなかった。
 これがいじめかぁ──案外円はのんきにかまえていた。
 戸惑った。だが一度標的になれば、円の意思はなんら斟酌さ
れない。きっかけさえあったら、誰でもいいのだろう。
 登下校と休み時間のかわし方さえ身につければ、案外しのげ
るものだった。
 円は小学生のころから、空手を習っていた。体育の成績に秀
でてもいない松本らの腕や足、投擲するものはほとんどかわせ
た。
 松本たちに手は貸さないが、遠巻きに見るクラスメイトの顔
を見て円は──とくに親しいものがいないことに気がついた。
見て見ぬふりをされて、自分が傷ついていないことがショック
だった。
 今日は体育館で襲撃された。
 明日の一時限目の授業が体育で、当番制で体育用具の準備を
しなくてはならない。授業はバレーボールで、ボールやネット
などの用具を倉庫の前に移動するだけだ。
 当番は、円の順番だった。
 体育館でポールをひとり動かす円は、松本たちに襲撃された。
 囲まれてしまうと、かわしきるのも難しい。

 なにより空手の道場に通う円は、反撃ができなかった。規則
だ。誰かに手を上げること自体を、道場は禁じている。松本た
ちはそれも頭に置いているようで、なぶるような態度で終始し
た。
 円がうんざりしはじめたとき、体育館をのぞきこんだ生徒が
いた。
 下級生──まだ一年生らしく、詰め襟のカラーは赤である。
二年生の円は青、三年生は緑。どこかで見た顔の彼は、短い悲
鳴を残して逃げ出した。ひとを呼ばれる可能性もあり、松本た
ちは逃げていった。
 入れ替わりに現れたのはともるである。
 どこで調達したのか、金属バットを持っている。
 よく教師ではなく、ともるを呼んだものだ──そう思った円
は、くだんの下級生がおなじ中学に通っていた顔だと思い出し
ていた。
 くだんの下級生は、ともるに告白したことがあった。
 そうかあいつだあいつ──
 ほろ苦くて、身の置き場に困るような感覚が胸に広がった。
ともるは男子に人気がある。中学の三年間、告白された回数は
両手で足りない。だが一度もうなずき返したことはなかった。


「好きになってくれなくても、俺が先輩を好きだってことを覚
えていてください」
 くだんの下級生の名言だ──円は名言だと思う。
 まっすぐな傲慢さ。
 傲慢だと自覚していないだろうひたむきさ。
 そして「いや」のひとことで突っぱねたともるに、円はいた
く感心させられたものだった。
 彼なら救助の要請に、教師ではなくともるを選んだのも、ち
ょっと納得できた。
 おなじ高校を受けていたのか──まさか、ともるを追いかけ
て来たとか。自分の考えが現実離れしたものに思われた。
「ね、まぁくん、これ貸したげる」
 ともるが差し出す金属バットは、ほどよく使いこまれていた。
「いらねぇよ」
「お兄ちゃんが昔使ってたやつだし、もう使わないから遠慮し
ないでいいよ」
「遠慮じゃない。野球部でもないのに、そんなもん持ち歩ける
かよ」
「えー、でもさぁ、これで叩くと、いうこと聞くようになるん

だってよ」
「どこでそんな話聞いたんだ」
 愕然として円が尋ねると、ともるは満面の笑みを見せる。
「ちいさいときやってた、ガールスカウトのリーダーがいって
た」
「リーダーって、指導員だっけ」
「そう。小学校のとき入ってて、辞めるくらいのときに、旦那
さんが離婚してくれないっていってたのね。で、中学のときリ
ーダーとばったり会ったの、そのときに、金属バットでいうこ
と聞かせたっていってた」
 円はひたいの汗を乱暴にぬぐった。
「そんなの真似するなよ」
 冗談だろ、と口に出すのは止めておく。
「もっと見た目怖いほうがいいよね。釘でもたくさん打ちこん
でおく? 赤鬼とか青鬼とかもってるのあるじゃない?」
「それは金棒だろ。……そもそも、金属バットに釘なんて打て
るわけないだろ」
「そっか……釘がいっぱいある方が、ぜったいいうこと聞きそ
うなのになぁ」
「いうことを聞かせたいわけじゃ、ない」

 円は歩き出す。
 西日に頬を焼かれる円の背中に、ともるが問いかけて来た。
「それじゃ、まぁくんはどうしたいの」
 円は聞こえないふりをした。
 幼なじみでもあり隣人でもあるともるは、帰宅するまでしつ
こく尋ね続け──やはりしつこく、円も無視し続けた。














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