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『凛逢妖譚~夜明けの晩の、あやかし語り』(日野裕太郎)

判型:文庫版 オンデマンド 120ページ 頒布価格:500円

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おばあちゃんの家で暮らしはじめ
自分にしか見えないものが周囲にいるのだと
小学生の凛子は気がついていた
裏山で犬の早太郎と迷い
たどり着いた不思議な家
そして出会ったあやかしたち
凛子の周囲であやかしたちが目論むものは――
少女が出会う怪異や物の怪たちとの物語

【カテゴリ】

妖怪 | 少女 | 中編 | 家族

【サンプル】

  1
 
「河内さん、おかあさんいないんだよねぇ、かわいそー」
 にやにや笑いを浮かべて、賀茂さんがいう。
 まわりの女子たちが、腫れものにさわるような、でも好奇心
に満ちた目でこちらを見ていた。
 そっけない態度を装いながら、凛子はまあね、と短くこたえ
た。
 ――お父さんも、光輝もいないけどね。
 おなかのなかでつけ足し、凛子は通学カバンを背負う。
 賀茂さんが意地悪をいう理由はわかっている。ほかの子たち
はみんなランドセルなのに、転入生の凛子だけ背負える通学カ
バンを使っている。ひとり目立って、うっとうしいのだ。最初
のころにカバンに関する当てこすりをいわれ、それでもカバン
で通学する凛子への言葉が悪辣になった――亡くなった母に関
するものになり、不憫がると見せて、凛子の境遇をあげつらう。
 凛子はいい返さない。
 ランドセルを使っている教室のみんなの方が、凛子にはうら
やましかった。
 凛子のランドセルは、お父さんとお母さん、そして弟の光輝

が乗った車と一緒に潰れてしまった。
 車内に飾っていたぬいぐるみも潰れたし、家族写真がおさま
っていたデジカメも潰れた。
 出先でふざけて転び、家でひとり留守番をしていた凛子だけ
助かった。
 助かって、凛子はひとりになった。
 まだなにかいいたそうな、脳裏に言葉を探して見える賀茂さ
んは、凛子にすれば印象がいい。ちらちらこそこそ、あの子の
親死んだんだって、などと聞こえよがしにいうほかの女子や―
―近所のひとたちより、ずっといい。単純に賀茂さんに嫌われ
ているとわかるから、ずっとずっといい。
「さよーなら」
 また明日、といいたいほど会いたい相手のいない教室を出て、
凛子は帰路に着く。
 ひとりになって、凛子は田舎に越して来た。
 目指す古くて傾いた家は、いつも青草みたいなにおいがして
いた。うっそうとした森を背にした家が目に入るだけで、その
においが鼻腔によみがえる気がする。
 家の手前、川を渡る。
 ざんざんと流れのはやい音を確認するように凛子はそちらを

見た。
 成形された土手などはなく、むき出しの土と好き勝手にのび
た雑草がある。川と地面との境目が曖昧だ。そのうち流れに岸
が削れていく気がする。川はどんどん広がって、いつか家が呑
まれる気がする。
 夏休みや冬休みに遊びに来ていたときは、そんなことを考え
なかった。川も山も物珍しく、眺めるだけでも楽しかった。探
険したがる弟の光輝をなだめるのが、ほんとうに大変だったの
だ。
 周辺にほかに建つ家はない。一軒だけぽつんと建つ木造の家
へと小走りに行く。思い出した光輝の顔と、ざんざんと流れる
川から逃げるように、足をはやめた。
 凛子は玄関の鍵を取り出し、戸締まりが有効なのか考える。
 鍵がかかっていても、ちょっとしたコツで引き戸が開いてし
まうのを凛子は知っていた。お父さんが教えてくれたのだ。お
父さんがまだ十代で、実家住まいをしていたころからそうなの
だという。
 鍵穴に鍵を差しこもうとして、凛子は施錠されていないこと
に気がついた。
 引き戸の磨りガラス、その向こうは暗い。

 うるさい音を立てながら戸を開ける。
「ただいま」
 玄関から入った光で、家のなかがぬめった。柱や床が濡れた
ように黒く照る。
 奥から物音が聞こえた気がして、凛子は首をかしげる。
「いるの? 病院は?」
 玄関を閉め、鍵をかけていると、ごそりとふすまの開く音が
した。
「……おかえりぃ」
 出て来たのは手首から先だけ、横着している声に凛子はふっ
と微笑んだ。
「おじいちゃん、いたの?」
「いるよ。おやつあるから」
「うん」
 凛子は部屋に走る。
 ぎしぎしうるさい音を立てて入った部屋に、カバンを放り投
げるように置く。
 前に住んでいたマンションとまったく違う部屋に、凛子はま
ここでくつろげるようになると、凛子にはとうてい思えない。。

「お茶、いる?」
 声をかけながら廊下を行く。まだ秋になったばかりだという
のに、冬を思わせる空気だった。
 返事はなかったが、凛子はお茶を煎れた。自分用にコップに
牛乳を入れる。
 茶の間の卓袱台に、和服のおじいちゃんがすわっている姿は、
しっくりとなじんでいた。
 おじいちゃんはふすまを開けた凛子に目をほそめた。
「ありがとさんね」
 向かい合ってお茶と牛乳をちびちび飲む。おじいちゃんは漬
けもののタッパーを開け、凛子に勧めた。
「高血圧になるよ」
 かじった漬けものはしょっぱい。
「なるときはなる、ならないときはならない」
「ならないように、気をつけないと」
 気をつけても、潰れるときは潰れる――そういい返しそうに
なって、凛子はくちびるの内側を噛んだ。
 お母さんたちの事故は、居眠り運転の車が突っこんで来て起
こったものだった。相手のひとは助かった。凛子の家族を潰し
たのに。凛子の家には誰もいなくなり、お金がたくさん入った

親戚がそのことで喧嘩をしていた。お葬式の最中でももめる親
戚に、凛子はいった――じゃあみんなも潰れればいいじゃない。
潰れてお金になればいいじゃない。おばあちゃんは泣いたし、
はじめて会ったおばさんだというひとは怒った。手を引いてべ
つの部屋に連れて行ってくれたお坊さんは、微笑んでいたが困
っているように見えた。
 おじいちゃんはテレビを点ける。
「今日は映りが悪いね。男前が下がるな」
 時代劇を放送しているが、ノイズが混じって画面も見づらけ
れば声も聞き取りにくい。
「凛子ちゃん、なにか見たいのはあるか?」
「このままでいいよ」
 映るチャンネルの数がすくなくて、凛子には見たい番組がな
かった。
 お母さんたちが潰れたとき、凛子は病院の待合室でひとり音
の出ていないテレビを見ていた。
 学校の帰り、凛子は弟の光輝とはしゃいでいた。
 泳げる温泉に行き、帰りにケーキも食べる約束をしていたの
だ。凛子も光輝も、出かけるのを楽しみにしていた。
 ずっと光輝は身体の調子が悪かった。赤ちゃんのころから、

よく熱を出す子だった。光輝はほとんど遠出ができなかったか
ら、家族みんなで出かけるのを楽しみにしていた。
 はしゃいだ光輝が転びそうになり、とっさに手を出した凛子
は巻きこまれるかたちで転んだ。
 転んでひねった足が、あっという間にパンパンに腫れ上がっ
た。目の当たりにした凛子は呆然とし、光輝は泣いた。凛子よ
りふたつ歳下の六つだったが、普段からよく泣いた。いま凛子
は十になった。でも光輝は六つ。ずっと六つ。光輝は七つにな
らない。
 もしも光輝がが七つや八つになっていたら、あんまり泣かな
い子になっていただろうか。凛子がこたえのわからないことを
考えていると、みしりと家が揺れた気がした。
「地震かな」
「どうかなぁ」
「地震があると、地滑りって起きるの?」
「いやぁ、どうだろうね」
「……地滑りって、起きると大変なんでしょ?」
 家の裏は山で、前は川だ。地滑りがどんなものかわからない
凛子は、山ごと家が川に流れていくところを想像した。
「お山さんは、いまのところは大丈夫だ」

 みしみしと音はうるさいが、テレビに地震速報は流れない。
そうこうするうちに、天井からタタタタタ、と軽快な音がした。
「元気、元気」
 おじいちゃんは笑う。にこにこするので、凛子もにこにこし
ておく。がたがたうるさく鳴る茶の間のふすまが、音に合わせ
てちょっとずつ開いていく。
 がたがた、タタタタタ、がたがた。
 テレビの音が聞こえなくなるほどうるさい。
「ねずみかなぁ」
 開いたふすまの向こうを走るものを目に、凛子はつぶやく。
 ねずみじゃないのは知っている。
 ちいさなひとに見えた。
 ひとり行き過ぎ、ふたり、さんにん。
 もっといる。
 ちいさくて、はだかで、人間とちょっと違う。
「ねずみかなぁ」
 ねずみじゃないけど、凛子はもう一度つぶやいて、コップに
残っていた牛乳を飲み干した。
 家が揺れるとき、いつもちいさいひとたちが出てきて家を走
りまわっている。音が聞こえはじめたら、凛子はできるだけそ

の場を動かないようにする。じっとこらえる。
 それはいつも、そんなに長い時間ではない。
 走りまわるひとたちは、怖い顔つきをしている。しかし楽し
そうだ。ただ走り、家の柱に手をかけて揺すっているだけに見
える。それでなにをしようというのか気になるし、正直確かめ
たい。しかしちいさいひとたちの楽しみを邪魔することになり
そうで、凛子は迷ってしまう。
 おじいちゃんがお茶をすすったとき、廊下で電話が鳴った。
じりりりりりん、と重厚で、耳に残る音だ。電話の音がしたと
たん、がたがたと家が揺れ、鳴るのは止まった。
 留守番電話の機能なんてついていない、黒電話だ。凛子は立
ち上がるなり駆け足になった。
 電話はおばあちゃんからだった。
『おやつ、食べてる?』
 凛子は壁の木目に向かってうなずく。
「漬けものと牛乳飲んでる」
『送迎バスが遅れてるらしくて、ちょっと遅くなりそうなのよ。
乾物屋さんに、おつかい行っておいてくれる? お金はもう払
ってあるから、持って帰ってくれればいいよ』
 おばあちゃんの声の後ろ、ざわざわとひとの話す声が聞こえ

ている。
 おばあちゃんは老人会の集まりに出ている。となり町の公民
館を借りるので、送迎バスが出る。
 なにをするでもない。みんなで集まって、変わりないことを
確認するのだ。そしてお茶菓子をつまみながら、無駄話をする。
たまにカラオケもするらしい。呆け防止にいいそうだ。
 凛子が家に転がりこんで、おばあちゃんはしばらく集まりは
休んでいた。近隣に不慣れな凛子を、家でひとりにするのを渋
ったのだ。
 先月くらいから、おばあちゃんはまた集まりに出るようにな
った。楽しみにしているのは、傍目にもわかっていた。休んで
もらっていたことを、凛子は申しわけなく感じた。
「なにもらってくればいいの?」
『干ししいたけと、小豆だよ。挨拶してね、そしたらもらえる
から』
「うん、わかった」
『ありがとうね』
 電話は切れた。
 おばあちゃんは受話器を叩きつけるようにして電話を切る。
耳に痛い音だ。

 乾物屋さんは通学路に沿って進み、家から十分ほど歩いたと
ころにある。
「いってきます」
 おもてに出ると、空気がにおった。魚のにおいに似ている。
 雨になるのだ。
 空を見上げると、鈍色の雲が流れている。傘を持って出るか
迷いながら、凛子は玄関に鍵をかけた。
 急げば大丈夫。そう思いながら川にさしかかった凛子は、肩
を寄せ合ってなにやら話している男ふたりを目に留めた。
 ときどき川岸で話しこんでいるひとたちだ。黒い影のような
印象が強かった。黒い服を着て、黒い顔をして、黒い髪をして
いるからそう思うのだろう。
 男の片方と目が合った気がして、凛子は会釈をした。
 顔を上げると、男たちは消えている。ざざざ、と川の流れる
音を背中に聞き、凛子は乾物屋に急ぐ。
 乾物屋に入るなり、店番のおばさんは歯を見せて笑った。
「おばあちゃんから、電話もらってるよ。これね、お代は済ん
でるから」
 差し出された袋は、おばさんが持っていても重そうだ。
「慣れた?」

 おばさんの白くて粒のそろったトウモロコシみたいな歯に目
の焦点を合わせ、凛子は受けこたえをする。
「はい、おかげさまで」
「しっかりしてるわよねぇ、おかげさまなんて、うちのだった
らいえないわぁ」
 小学校低学年の孫がいるはずだった。学校の生徒数は少なく、
何度か凛子は顔を合わせている。
「河内さんの爪の垢、煎じて飲ませてやりたいわ。それじゃ、
気をつけてね、重いから」
「ありがとうございます」
 渡された買いもの袋は、ずっしりしていた。
 乾物屋のとなりには駄菓子屋があり、そのまた横はシャッタ
ーの降りた元店舗だ。小学校を軸に商店街があったという。い
まは乾物屋と駄菓子屋が、寄り添うように建っている。通りを
もっと進むと、古びたガソリンスタンドがある。彩りのすくな
い景色だ。煤けて見えるのは、暗い空模様のせいばかりではな
いだろう。
 重い袋が指に食いこむ。こんな重いものを、おばあちゃんも
持って帰って来るつもりだったのか。自分がおつかいに出てよ
かった。

 荷物の重さのあまり、思わずがに股になりかける。
 こんもりと木の生い茂った山をあおぎながら歩くうちに、雨
が降り出した。
 不幸中の幸いか、ざあざあとひどい降りではなかった。
 走ろうにも荷物が重くてままならない。頬にかかる雨、湿っ
てくる髪と服にうんざりする。手の甲を流れるしずくがうっと
うしかった。
 川の流れは相変わらずで、近くなるにつれて大きくなった。
ざざざぁんざざざぁん。雨のせいかいつもより水の勢いがある。
 ちいさな石の橋を渡りながら、凛子は首をめぐらせた。
 影のような男たちは、川岸にいた。
 何事もないような穏やかな表情で、彼らは流れの方を向いて
話している。
 足を止めた凛子が瞬くと、往路のように彼らの姿が消えた。
 ずっしり重い袋を抱えるように持ち直し、凛子は歩き出す。
 通りしな一瞥した川岸、男たちが凛子の方を見ていた。




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