駄文の王様 > 日野 裕太郎/さつきの本 > くくるちさまのねだるもの

image

『くくるちさまのねだるもの』(日野裕太郎・ハルノブ)

判型:文庫版 オンデマンド 128ページ 頒布価格:600円

双葉の家はくくるちさまを信仰している

日々くくるちさまの御座す井戸に
双葉は針をお供えしていた

あるとき学生がフィールドワークに訪れ
くくるちさまのことを調べ出すと
町のおとなたちが反応しはじめ――
 
気づけば双葉は
怪異のただなかに立たされていた

クトゥルフ系怪異譚

【カテゴリ】

中編 | クトゥルフ | 怪異 | 少女 | 信仰

【サンプル】

        1
 
 くくるちさまを満たすための日々の決まりごとは、正直なと
ころ面倒になることがある。
 ひとつひとつは些細で、だからこそよけいに面倒になるのか
もしれない。
 双葉は針に糸を通し終わると、それを枡のなかに落としこん
だ。
 無言で立ち上がり、庭に降りていく。
 足を突っこんだサンダルは、野晒しで陽に焼けてしまってい
る。
 底の部分に大小のひびが入っていた。双葉の足には大きく、
しかしここにくるときにはこのサンダル、といつの間にか守る
べきルールのひとつになっている。
 ちいさいときから続けていることだ。
 うんざりした気分になって、双葉はくすんだ赤い屋根の家を
振り仰いだ。
 生まれてからずっと、十年ほどの間双葉はここに暮らしてい
る。
 もう一度十年を数えるほど、ここで暮らすかはわからない。

 それはあまりにも未来の想像で、双葉には地続きで存在する
とはにわかに信じがたかった。
 通学の路上、建て売りのはじまった一角を通りかかる。
 双葉の暮らす家は、それらにくらべるとひどく古びたたたず
まいである。
 あのきれいな建て売りの家も、十年もすれば古びてくるのか
―それもまた、双葉にとってあまりに未来だった。
 手にした枡に目を落とす。
 十年先にも、くくるちさまのもとに針を運び続けているのだ
ろうか。
 サイズの合わないサンダルは歩きづらく、転んで枡を放り出
したら、と双葉は想像する。
 失敗の経験はなかった。
 だから失敗が意味するところもわからないでいる。
 もし失敗したら、もうくくるちさまに針を運ばなくてよくな
るのだろうか。
 歩き出す。
 双葉の向かう場所にくらべれば、暮らす家などは新しいもの
だ。
 まだ、新しい。

 双葉は庭の片隅、いやに木々の密度の高いほうへと足を進め
る。
 足が重くなり、自然と眉をひそめていた。
 こんもり繁った草木を被るように、双葉の視線の先には井戸
が鎮座している。
 あそこはあまり好きではなかった。
 毎日通う、くくるちさまの御座す場所だ。
 なによりも古く、くすんでいるように映る。
 双葉は毎日、くくるちさまに糸を通した針を運んでいる。
 くくるちさまは自分を縫うのに熱心なのだという。
 住処である井戸に、針と糸を毎日落とす。
 気持ちのいい青空の広がるなか、双葉は今日もそうする。
 風が吹き周囲の枝葉が揺れる音に紛れ、針と糸が落ちる音は
拾えなかった。
 井戸の水は涸れているというが、のぞくことは許されていな
い。
 禁止された理由は「危ないから」というものだ。あわせて、
くくるちさまが御座す場所を見ることは不遜だと注意されてい
る。よくわからなかったが、叱られそうな雰囲気だったのでお
となしくうなずいていた。

 うなずいたものの、何度かそっとのぞき見をしたことはある。
 そこには闇がわだかまるばかりで、得体の知れないものなど
は一切見つけられなかった。
 得体の知れないもの―いうなれば、くくるちさまはいなかっ
た。
 懐中電灯でも差し向ければ、井戸の内部は明らかになるだろ
うが、双葉はそこまでする理由を持っていない。
 内部―くくるちさまの住まいにくわしくなったところで、こ
ころは躍らないだろう。
 教わっているとおり、そこにくくるちさまはいる。針の降っ
てくる上空を仰いだくくるちさまがなにを考えていようと、そ
れは双葉には関係がない。
 毎日落とされる針と糸を使い、自分の身体を縫っては満足の
笑みを浮かべているかもしれないが、それもまた双葉の見えな
いところで完結していていいのだ。
 日暮れを告げる役所のサイレンが鳴りはじめた。夏に向かう
季節、見上げた空はまだ明るかった。
 空になった枡を手にした双葉は、身体を回転させ家へと歩き
はじめる。
 戻るなか、走ってはならない。

 これもそう厳命されている。
「終わったの?」
 戻る双葉に、壱葉が声をかけてきた。
「お風呂洗った?」
 縁側に腰を下ろした壱葉に、双葉は枡を投げつけてやりたく
なる。
「にらむなにらむな。若いうちの苦労は買ってでもするもんだ
よ。あたしがあんたくらいのときなんて、馬車馬みたいに働い
たもんだもの」
 双葉が枡を投げつける素振りを見せると、壱葉は笑いながら
立ち上がる。
「返事がないってことは、お風呂掃除やってくれるんだよね」
 はやくしなさいね、と叫ぶようにいい、壱葉はおもてに駆け
ていく。
 くくるちさまのもとから帰るときは、言葉を発してはいけな
かった。それもまた厳命されている。
 それをわかっているから、壱葉はいつもそこで声をかけてく
る。
 仏間に戻り、双葉は枡を乱暴に置く。
 家の仏壇はとても大きい。中央に枡を置く場所が決められて

いて、ほんとうなら枡を動かすときにも決まった文句を唱えな
くてはならない。
 ほかの家族の目がないときは、双葉はなにも唱えない。
 家に戻ったとたんに、双葉はやけに強気になっていた―ここ
は双葉の家だ。くくるちさまだって、井戸から離れたところで
双葉がなにをしているかなど、きっと興味はないだろう。
 その証明に、双葉がなにも唱えなくても罰は当たっていない。
 ―いまのところは。
 双葉が湿った感触の畳に大の字になったとき、壱葉の声が聞
こえた。
「玄関もはいといてねぇ」
 全部を双葉にやらせようとでもいうのか、あれこれ仕事を見
つけてはいいつけてくる。
「ちょっとは役に立つなよねぇ」
 ため息まじりに、ちいさな声でつぶやく。
 ひとりで愚痴った言葉は、仏間の影に転がって消えた。




» 日野裕太郎作品レビュー

Amazonのレビューやtwitterでいただいた感想、とりあげていただいたブログ記事などの一覧です