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『山羊の死にざま』(日野裕太郎)

判型:文庫版 コピー 40ページ 頒布価格:100円

山羊の平穏な日常に、ある日変化があらわれた。

屠られた見知らぬ山羊の骸を見つけ、
訃報を届けるために暮らしただろう群れをさがしはじめる。
そんななか、山羊は空を飛び、足を動かさずとも前へ進ようになっていた。
人間の言葉までわかるようになっていて、驚きながらも山羊は村を進んでいく……。

土着系ファンタジー、短編

【カテゴリ】

土着系ファンタジー | 短編 | 動物 | 信仰

【サンプル】

        1
 
 その日は気分のいい天気だった。
 そちらに行ったほうがいい気がして、山羊は群れを離れてい
た。
 放牧の柵を越え、見張りの人間がうたた寝する横を通り過ぎ
た。そして最上の昼寝が約束されているだろう木陰へと、招か
れるように歩を進めていた。
 忙しなく働き続ける人間たちの姿を、草むらに身を横たえて
ながめる。
 そこに見知った人間の横顔が混じっていることに気がついて、
身を起こす。
 ひさしいなきみ、元気だったか―問いを投げかける。おそら
くそれは、人間の耳にはめえ、と聞こえただろう。
 聞こえないのか、取り合っていられないのか。その人間はち
らっとわずかな時間だけ視線を寄こし、どこかへ行ってしまっ
た。
 木陰は寝場所として最良でも、隠れ場所としてはずさんな場
所だ。じき柵のなかに戻されると予想し、人間を見ていた。し
かし人間のうちの誰ひとりとして、山羊のほうを気にする様子

がない。
 水飲み場に向かう人間が、大きな荷物を大変そうに運んでい
る。
 木立のほうから来た人間が、前が見えなくなるほどの藁束を
抱えている。
 それが転ぶ音に山羊は目を閉じ、そのままするりと眠ってし
まっていた。
 背中に軽い衝撃を覚えて目を開けると、先ほどよりあたりが
暗い。人間の数もまばらになっている。
 ねぐらに行こうと思う山羊の背を、また軽い衝撃が走った。
 顔を上げると、見知った人間だ―ひさしいな、さっき見かけ
たんだ。
 めえ、という音でそれを伝えると、人間はうなずいた。
「着いておいで」
 山羊はめえとこたえる。
 その人間は話ができる相手だった。
 山羊のみならず、ちいさい生きものや空気の色を聞く。
 誰よりも耳がいいのだろう、彼と話をしていると、人間も愚
かなものばかりでないのだ、と楽しい気持ちになるのだ。
 人間の暮らしは無駄が多い。

 呼べど山羊の声にこたえない顔ばかりである。ことばを理解
できないのだろう、しかし彼らは彼らなりに、なにか音を使っ
たやりとりをしている。 前をいく人間は、山羊と話すとき音
を使わない。めえともなんとも聞こえないのだが、その人間だ
けは話ができた。
 なあきみ、そろそろねぐらに戻ろうと思うんだ、夜は怖いそ
うだよ。
 めえめえと話しかけると同意をしめし、しかし人間は開かれ
た大きな扉の先に山羊を連れていく。
 そこはふしぎな場所だった。
 たくさんの人間が待ち受けるようにしていて、入っていく人
間と山羊とを熱心に見ていた。
 火が点いた木の棒を人間たちが持ち、そのためかおもてより
明るい。
 なんだ、ここはきみたちのねぐらかね。めえ。
 話しかけつつ、山羊の目はそこの中央にある芳しい野草の小
山に吸い寄せられていた。昼に食事はすませていたが、好物ば
かりが積み上げられているためおおいに食欲が刺激された。
「好きなだけ食べてくれ」
 山羊は遠慮しなかった。

 踊るような足取りの山羊は、青々とした小山に顔を突っこん
だ。
 かぐわしく滋味に富み、独り占めに高揚する。
 ねぐらに戻れば仲間がいる。群れの仲間たちにここのことを
伝えて、どれだけの数が理解するだろう。
 群れのほかの山羊は人間や外の出来事に興味がなく―食と眠
りとつがうこと以外に、どれだけ説いても興味を持てないもの
たちが大半だ。
 人間と会話をこころみていたからこそ、こんなうまいものに
ありつけたのではないか。
「うまいかな」
 うまいよ、と上機嫌に人間に返事をしようとした山羊は、そ
こで首を落とされ絶命した。
 
 
 それがどういうことなのか、山羊ははかりかねていた。
 いまや山羊は鳥のように宙に浮いている。しかし鳥のように
羽ばたいていない。木の枝にぶら下がるみのむしのようである。
しかしみのむしのように山羊を吊す糸はない。
 すい、と横に山羊の身体が移動する。

 水面を渡るアメンボのように動いて、山羊は驚いた。まった
く足を動かしていないのだ。
 衝撃的なことに、目の前には首と胴がわかれてしまった山羊
が横たわっている。食事の最中だったのか、口には青草をくわ
えたままだ。近くでほかにも食事中のものがいたとは気がつか
なかった。
 大きな刃物を持った男が、人間に音でなにやら伝えていた―
どうしてか、山羊にはその音の意味が理解できた。
「コイトさん、血を吸わせた藁も一緒にしておけばいいんです
か? 大量になりますが、それもまとめて?」
「うん、けっこうな量になると思うけど、ひとまとめに……そ
うだね、この餌も一緒に」
「明日に、ってお話でしたが」
「これから祭壇の仕上げもするから、手数をかけてもらってす
まないが」
 なあきみ、と山羊は話しかける。
 めえという声はしなかった。
 なあきみ、そいつをどうするんだ、見かけないやつだが、ど
この群れのやつだ。
 声が届いたのか、人間は山羊を見た。

 見たが、返事をせずにまわりにいるほかの人間たちに色々と
指示をする。やることがたくさんあるのだろう。
 忙しげにする人間に話しかける気になれず、山羊はアメンボ
のように空中を移動した。
 同族たる山羊の亡骸を目にして、食欲は失せている。
 うまい青草だったが、いまはもうあの山羊の血でしとどに濡
れてしまっている。しばらくはあの山羊のために、あそこにあ
った種類の草は口にしないでおこう。
 はた、と気がつく。
 そもそも、あの山羊はどこの群れのものか。
 人間たちが妙なことをするのは理解している。
 ときどき山羊の仲間を連れ出しては、彼らが屠るのは知って
いた。
 屠ってどうするか。
 食うのだ。なんということを、と嘆きが湧くものの、山羊た
ちもまた草を食う。草は山羊たちに対して、なんという無体を、
と憤っているかもしれない。
 先ほどは彼ら人間たちの言葉が理解できたが、草と山羊とは
そのような疎通がないのだ。
 すいすいと山羊は暮れていく道を進む。足を動かさなくても

地面に足をつけていなくても前進する。
 これまでそうやって歩いたことがなかったが、ためせば前か
らできたのかもしれない。色々ためしてみるのもおもしろそう
だ。
 山羊の目は道の先、自分のねぐらを見据えた。
 人間のつくった木の建物―小屋がいくつかある。
 その小屋毎に、山羊の群れがいるのだ。
 あの屠られていた山羊は、きっとそのどこかのものだ。見知
らぬ山羊だったが、小屋をめぐれば、おそらく暮らしていた群
れに行き着くはずである。
 群れのものに知らせてやりたい、と山羊はすいすいと進んで
いった。








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