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『白いあかつきに沈む夢』(日野裕太郎)

判型:文庫版 オンデマンド 272ページ 頒布価格:700円

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雪深い山奥の村
神殿にある日ひとりの青年が現れた
荷物どころか記憶さえ持たない彼は
カクという名を与えられ
辺境の村で生活をはじめた

狼の遠吠えが村を取り巻くように
響き渡るなか
王都から巫女と僧正が率いる
魔物の討伐隊が訪れる
例年通り静かに暮らすはずだった――

不安が蔓延する村を前に
巫女はカクから神気を感じると
いいはじめ……

巫女を脅かす、なにかを罰そうという神気
山を跋扈する狼の群れの声
僧兵らを鼓舞するような火の足音を残す赤い鼠

ただわかるのは
逃げ場はないということだけだった

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ファンタジー | 土着 | 長編 | 転生 | 呪い

【サンプル】

        1
 
 ──なにも覚えていなくて。
 そういって苦笑いを浮かべたのは、いかにもひとのよさそう
な青年だった。
 だがひとがよさそうだからといって、善人だとは限らない。
 自身の経験から、村長のソーは骨身に沁みていた。
 彼の娘をたぶらかしたのも、目の前にいるような優男だった
のだ。思い起こすだけでソーは苦い気持ちになる。行商人だっ
た男のためにと、ろくに眠らず着物をあつらえていたひとり娘
の、一途で懸命な横顔を思い出してしまう。
 毛布にくるまった青年は、おとなしく差し入れられた茶をす
すっていた。
 目が合うと彼は笑った。
 笑顔のかたちの、だが困り果てたような青年のその顔のどこ
を探しても、嘘の色はひとつも見つけられなかった。
 騙されたことはあっても騙したことのないソーには、それ以
上深い見立ては土台無理な相談だった。
 山間部のその小さな村には、ときおり迷いこむ旅人がいる。
 街道のとちゅうに入り組んだほそい道があり、そこで方角を

違えると迷ってしまうことがあった。流通する地図にも、注意
喚起としてその旨は記されている。にも関わらず、まれに行き
先を違え、村へ足を踏み入れるものが出た。
 迷って道を得られなければ、旅人の命に関わる大事になる─
─村にたどり着き安堵の表情になる旅人は、年に多くともふた
りか三人ていど。
 多くはないが、珍しくもない。
 しかし村の神殿に全裸で横たわる青年が突如現れたなど、村
においてはじめての見聞だった。
 珍しい事例に、村人は対処に手をこまねいた。
 追い剥ぎにでも遭った不遇の男なのか、あるいは神殿で盗み
を働こうとした不埒な男なのか。
 青年の正体を見極めることはできなかった。
 前者にしては、青年は傷を負うでもなく、また村の周囲に賊
が潜む話を最近はとんと聞かない。後者にしては、残念ながら
村の神殿は、よそものが見てそれと知れるものではなかった。

 よそものなら、神殿と聞いて宝物があると勘違いしてもおか
しくない。だが村でいう神殿とは、広場の中央にそびえ立つ巨
大な黒曜石を指す言葉だった。

 部外者が初見で神殿と知るのは難しい。ましてその黒曜石は、
大人の上背を優に超す大きさである。おとなが三人腕をのばし、
ようやく抱えこめる代物だ。
 それを盗むというなら、酔狂と嗤われる。
 これから雪に閉ざされようという季節、下調べもなく盗みに
入るのは、命知らずの無謀でしかない。
 村の周辺を探索したものの、男の荷や衣類と思わしきものは
見当たらなかった。賊に襲われたとして、争った形跡さえも見
当たらない。
 酒気を帯びていない青年が目を覚ましたのは、保護された翌
日であった。
 咎め立てるきつい口調で質問を浴びせられ──不審者相手だ、
至極当然である──青年は申しわけなさそうに、なにも覚えて
いない、といった。彼の言葉の意味をはかりかね、再度おなじ
問いを村のものが投げても、青年はやはり覚えていないと苦い
笑みを浮かべた。
 過去の記憶が抜け落ちているのだ、と彼は肩を落とす。釈然
としないが、青年の悄然とした様子に、村のものは矛先を変え
るしかなかった。
 青年の次に疑われ矢面に立ったのは、村の青年団の面々だ。

 出稼ぎに出たときにできた友人でも引っ張りこんで、なにか
悪戯をしているつもりではないかと、彼らは疑われたのである。
 しかし手引きした人間は見つからなかった。
 なにか解決の糸口は、と村はあわただしくなっていたが、青
年は思い出のひとつもよみがらないまま時間は過ぎていった。

 髪と目は黒く村人とおなじだが、村の誰にも顔立ちの似たと
ころがない青年は、目覚めた翌日には労働意欲を見せていた。
世話になるのは申しわけない、とまっとうなことをいった。倒
れたばかりの身体、村の医師のもとで見張りつきで静養させて
いたが、本人は身体の不調はない、とからりと笑う。青年団が
尋問される間も、彼は世話になることを詫びていたのだ。
 季節は秋の終わりだ。村の外に荷のひとつもない青年を放り
出せば、一番近い集落にたどり着く前に命はなくなると読んで
よかった。
 冬が到来しようという時期、村では人手が足りない。見張り
に人手をさくのは痛手だ。それでも不審者に手を貸そう、彼の
手を借りよう、という剛胆な村人もいなかった。
「思い出すまで、どこかに閉じこめておくしかあるまい」
 会合に収集された面々に対しての村長ソーの言葉に、すぐ異

論が上がった。
「村長だめですよ、牢はほら、地震のあとから木材置き場にな
ってますよ、あれを動かさないと無理です」
 青年が現れる直前、一帯で大きな地震があった。被害はすく
なかったが、倒壊寸前の放置されていた家屋が一棟崩れた。そ
こからまだ使える木材を選び出し、保管していたのだ。
「そういえば、まだ動かしてなかったのか」
 じつはソー彼自身、牢が木材置き場になっていることを忘れ
ていた。
 村で牢といえば、祭りの酒宴で潰れるなどして、自宅に連れ
帰るのが厄介な酔漢を一晩寝かせるための場所だ。
 彼らの話し合いは、すべて青年の前で行われた。村人の意見
がこじれると、迷惑をかけてすまない、と申しわけなさそうに
青年は詫びる。周囲の毒気が薄れるのははやかった。
 始終困りきった様子の青年は、結局村長の屋敷に留まること
になった。
 理由は簡単で、ソーの屋敷が村で一番大きいからだ。あまっ
た部屋のある家は、そうそうない。
 万一のことがあったときには、青年の処遇はソーが独断でき
ることになった。青年に否の発言権はない。

 ソーの屋敷で青年は毛布を与えられ、窓のない物置に閉じこ
められた。
 それから幾日かが経っても、青年は自分の過去を思い出さな
いままだった。
 彼の話し相手は、戸口に立つ見張りだけ。それは労働力とし
て立つ瀬のない老女たちで、交代で彼の見張りをしていた。
 彼女たちは純朴だった。壁を隔てて接する、閉じこめられた
見目のいい青年──彼を不憫がって感情移入してしまい、たや
すく老女たちは青年の側に立つようになった。
 老女が彼に肩入れすると、その周囲が青年に興味を持った。
 興味を持ったものが、入れ替わり立ち替わり見張りに立つ。
 下女、ソーの娘、その乳母、兄、孫、親友。
 草の根が広がるように、青年は理解者を増やした。懐柔した
のだ、と悪し様にいうものもなかにはいたが、青年が外に出せ
と要求したことはない。閉じられた扉越しの会話で、青年はす
こしずつ友人を増やしたのである。
 青年の友人たちの声もあり、監視がついていれば、という条
件つきで外出を許可されるようになった。
 冬が訪れていた。
 雪が降り、村の面々はどうしても外出が制限されるようにな

る。屋内に閉じこめられた老人らに、聞き巧者の青年は気に入
られた。
 老人の懐に入ると、その家の女衆に接する機会が増えた。
 家々の子供たちと遊ぶ機会が増え、なつかれた。それまでい
い顔をしていなかった男衆も、女子供を味方につけた青年と肩
をならべて、農閑期の手仕事をするしかなくなった。すると青
年のやわらかい気性に誰もが気づくことになる。
 便宜的に、青年はカクと呼ばれた。
 彼になついた舌っ足らずの幼児が、おきゃくさん、といおう
としてうまく舌がまわらず、カクサンと発音したためだ。
 それが村での彼の名となった。
 カクが神殿こと巨石を前にたたずむ姿は、明け方に見られる
光景だった。
 村長の屋敷から神殿まで、ゆるやかな歩幅の足跡がある。カ
クの後をまるで追うように、雪の足跡は続いている。
 一家の主婦らの朝ははやい。それよりもカクははやく起き出
す。記憶を求めてああしているのだ、と誰も咎めなかった。
 むしろ不憫に思われた──そのころには、彼はもう不審者で
はなくなっていた。

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