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『ハレのちことね』(日野裕太郎・ハルノブ)

判型:文庫版 オンデマンド 102ページ 頒布価格:400円

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七福神が連なる福寿族、その末席の琴音は
永い時間様々な場所を漂い歩いている

様々な家族の間に入りこむ琴音の「お願い」を
断るものはなかった―
新たに入りこんだ田所家、そこで榮に会うまでは

はじめて出会った、「お願い」が通じず
本音で話してくれる榮を前に舞い上がるも
これまで琴音はただ無為に
漂い歩いていたわけではなく
今回も神としてのお役目を携えていて……

【カテゴリ】

少女 | 七福神 | ファンタジー | 彷徨 | 中編 | 家族

【サンプル】

        1
 
 目を開けると、しんと冷たい風景が目に飛びこんだ。
 ややあって、むき出しの頬と肩、腕とが空気の冷たさに肌を
粟立つ。
「寒い」
 つぶやいた息は白く踊る。
 あたりを見回した。
 均等な高さの複数の樹木、そして清楚な花。ひとの手が入っ
ているのがうかがい知れる。剪定され整った、こじんまりとし
た庭だ。
 そのただなかに立っている。
「……ここ」
 どこだろう。
 戸惑いながら、なんとなく足を踏み出した。
 庭園の先に古い日本家屋がある。使われている蜜色の木材は、
夜目にも傷んだ様子はない。こちらも手入れされ、経年や風化
を感じさせないものだった。
 背中を押すように風が吹いた。肩でそろえた髪が揺れる。風
は温かく、うっすらいいにおいをまとっていた。

 目をやった一角、台所と思しき場所の窓が開いていた。
 ゆたり、と白い湯気がもれ、流れ出て虚空で消える。
 湯気は消えたが、鼻腔に届いたにおいは食欲をそそるものだ
った。
 そちらに向かう。空腹だった。そっと窓の隙間から、なかを
のぞき見る。やはり掃除された台所で、中年女性が甲斐甲斐し
く働いていた。おいしそうなにおいが濃厚になる。
「うん、ここ……いいかも」
 小さな声でつぶやく。
 そっと建物の外周に沿って進んだ。
 勝手口があり、手をかける。
 鍵がかかっていて、戸は開かなかった。
「入れて」
 静かに頼むと、カチ、と鍵が開く音がした。
 そっとなかに入る。冷たい外気が遮断された屋内は、とても
温かく感じられた。ほっと息をつく。
 ひとの声がするので、そちらに向かってみた。
 清掃されているが、長い廊下は古くてきしむ音が大きい。
 まだこの家のひとに気づかれたくなった。
「静かにして」

 頼むと、きしむ音が消えた。
 まるで空を泳ぐように、床板など踏んでいないかのように進
んだ。
 けたたましい笑い声が聞こえる。廊下に面したガラス戸があ
り、そこが和室だとわかる。
 廊下から和室をのぞきこむようにした。
 背中のまるい老婆が、こたつでうたた寝に勤しんでいた。部
屋には大きなテレビがあって、にぎやかな番組が流れていた。
けたたましい声はそこから聞こえている。
 ガラス戸をカタカタいわせながら引いたが、老婆を目を覚ま
さなかった。
 こたつの向かいで足を折り、眠っている老婆に尋ねる。
「何人家族?」
「……三人」
 寝ぼけたような声で老婆はこたえ、続けた。
「息子夫婦がね、越してきてくれてね」
 台所にいたのがお嫁さんか。甲斐甲斐しく働く姿を思い起こ
した。
「仲、いいの?」
「……ほどほどに」

 そういって、老婆はため息をつく。
「みんな、いま家にいる?」
「息子は……出てる。嫁はご飯の支度……」
 テレビでどっと笑う声がして、つぶやいていた老婆が眉間に
しわを寄せた。
「……んん?」
 老婆が目を開け、首をこきこき鳴らしながら顔を上げた。
 目が合う。
「あら、どなたさま?」
 驚いた顔をし、驚いた声を出し、老婆はわずかに身を引いた。
 驚かせたことが申しわけなかった。自分でもぎこちないとわ
かるかたい笑みを浮かべながら、口を開く。
「あたし、ここに住みます」
 ふっと老婆の目から光が消えた。
「よろしくお願いします」
 頭を下げ、また上げる。
 老婆はにこにこと笑っていた。
「あんた、ちゃんとあったかくしないと、風邪ひくよ。ばあち
ゃんが、どてら持ってきてやろうか」
「ありがとう」

「おなかすいたねぇ。佐恵子さん、お夕飯手間取ってんのかし
ら。時間かかるもんつくるなら、はやくに取りかかりなさいよ
って、いっつもいってるのに」
「あたし、手伝えることないか見てくる」
 腰を上げると、老婆はこまったような顔をして首を振った。
「やめときな、もう台所は佐恵子さんのもんなんだからね。女
ひとりで切り盛りすんのが、一番なんだよ」
 いいながらも、老婆は強固には止めなかった。
 勘を頼りに台所に向かうことにした。
 どてらどてら、と小声でくり返す老婆も和室を出、ほかの部
屋に入っていく音を背中で聞いた。
 台所に入ろうとするより先に、なかから声がかかる。
「いまできますから!」
 ちょっと苛立った声だ。
 苦笑して、そっと戸口にかけられたのれんをくぐった。
「でき上がったら声かけますから、待っててください」
 彼女はそこで言葉を止めた。台所に入って来た顔を見て、戸
惑っている。しかしすぐよそ行きの顔になり、目尻を下げて愛
想のいい表情を浮かべた。
「大きな声出してごめんなさいね、お客さんがいらしてるって

知らなくて」
 噴きこぼれそうになった鍋の火を止め、彼女はあらためて微
笑んだ。
「それで……ええと、お名前うかがってもいい? こんな若い
お客さん、ひさしぶりすぎてちょっと思い当たらないのよ」
 かたわらにあった布巾を手にして笑う。
「失礼なこと訊いてごめんなさいねぇ」
 恐縮しきりの彼女は、手を休ませない。つくった食事を盛り
つけながら、言葉を待っているのがわかる。
「あたし」
 食器をお盆に載せながらこちらに目を向けてきた彼女は、無
言で言葉の先をうながしていた。
「ここに住みます」
 彼女の目が一瞬暗くなった。
「手伝いもします、よろしくお願いします」
 頭を下げた後に顔をつき合わせた彼女は、満面の笑みを浮か
べ、食器を載せたお盆を差し出した。
「おばあちゃんのとこに持ってって。待ちくたびれてるだろう
から、きっとうるさいわよ。小食のくせに、すぐおなかすかせ
るんだから」

 いたずらっぽく笑う彼女に、やはり笑い返し、茶碗と箸の載
ったお盆を運ぶ。
 お盆と引き替えにどてらを受け取り、羽織ったところで、が
らりと軽快な音が聞こえた。
「ただいまぁ、寒いなぁ」
 野太い、すこし疲労に染まった男の声。老婆が明るいまなざ
しで、音の聞こえた方に首をのばす。
「友哉帰ってきた」
 先ほど老婆がいっていた、息子だろう。
 すかさず立ち上がる。誰よりも先に、と急いで玄関へと小走
りに向かった。
「おかえりなさい」
 広い玄関口、スーツ姿の男性が革靴を脱いでいるところだっ
た。
「ああはい、ただいま。どちらさまかな?」
 くたびれた様子だが、気さくに尋ねる男性の顔をのぞきこむ。
「あたし、ここに住みます」
 男性の表情が弛緩した。
「よろしくお願いします」
 頭を下げ、また顔を上げたときには、男性の笑顔がそこにあ

った。
「ああ、いいにおいだな。今日は魚でも煮つけてるのか? は
やく飯にしよう、腹減っちゃったよ」
 肩を優しく叩かれた。
 男性は廊下を行きながら、コートを脱ぐ。台所から顔を出し
た女性に、持っていた紙袋を渡す背中を見送った。
「これこれ、これもお願いね」
 女性から小鉢の載ったお盆を受け取り、老婆の待つ居間に向
かう。
 やがて食事となった。
 家族三人のなかに入り、温かい夕飯をいただいた。自然と頬
がゆるむ。テレビのチャンネル争いを老婆と男性がするのを眺
めた──勝敗は決まらず、苛立った老婆がテレビを消して決着
となった。
 食事が済むと、男性が大仰な動作で手を叩いた。
「ほら、土産買ってきたろ、ほら」
「ああ、出しましょうか」
 女性は腰を上げ和室を出たが、すぐ戻った。彼女の手には、
帰宅した男性が手渡していた紙袋がにぎられている。
 紙袋から小さな箱が出てきた。

 箱が動くと、甘いかおりがする。
「ここのシュークリーム、おいしいのよね」
 女性がうれしそうに箱を開け、それから表情を曇らせた。
「やだお父さん、いっこ足りない」
「え? なんで」
「人数分ないわよ」
「ええ? ほんとか?」
 男性は箱をのぞきこんだ。眉を八の字にし、
「店員さん入れ忘れたのかな。仕方ない、今日は俺とおまえが
半分ずつにすればいいだろ」
「そうねぇ」
 言葉に耳をかたむけ、下を向く。
 ──ほんとうは、三人の家族。
 うつむいた視野に、シュークリームの乗った小皿が差し出さ
れる。
「食べな。えっと……あれ?」
 女性が戸惑った声を上げた。
「あらやだ、ど忘れだわ……名前出てこないわ。え、ほんと…
…あれぇ」
 混乱に染まる女性の横顔を確認した。三人の目が虚ろになっ

ている。あわてるあまり中腰になった。
「あ、あたし、こと──琴音、だよ」
 半ば叫ぶように名乗る。
 つかえが取れたように、凝っていた三人の表情が動きはじめ
た。
「おまえ、琴音ちゃんの名前忘れるなんてどうかしてるだろ」
「ほんと、私どうかしてたわ」
 女性が困り果てた顔をするのが心苦しい。
「熱でもあるんじゃないの? もうお風呂はよしといて、今日
は寝ちゃいなさい」
 老婆の言葉にうなずき、女性はため息を落とした。
「悪いわね、食器、洗い桶につけておいてね」
「はい」
「もう、琴音ちゃんのこと、そんなにこき使わないの」
 女性は反論せず、曖昧な表情を浮かべて部屋を出て行った。
 デザートのシュークリームは甘く、思わず顔がほころんだ。
ありがたくいただいていると、がたんがたんと重い音が響いた。
 なんだろう、と首をめぐらせるが、男性も老婆も気にした様
子がない。
 そのとき、視界のはしにシュークリームの入っていた箱が見

えた。
 ひとつ残っている。
 怪訝に思った耳に、声が飛びこんだ。
「ちょっと、鍵かけ忘れてんじゃん。なにしてんだよ、危ない
だろ」
 大きな声とともに、乱暴な足音がした。
「榮、もうちょっと静かに歩きなさい!」
 老婆が声を張り上げると、それ以上に大きな声が台所の方か
ら聞こえた。
「ばあちゃん、勝手口開いてたぞ」
「台所のことは、ばあちゃんもう知らないよ。お母さんにいい
な」
「戸締まりは全員でやらないと駄目だろ」
 どたどたと足音がする。
 家族は三人と老婆はいっていたが、まだほかにいたのか。指
についたカスタードクリームをなめ、琴音は自然と身構える。

「ばあちゃんはもう台所入りませんよ! あんたのお母さんに
譲ったんだからね!」
 廊下に向かい、老婆はきつい口調で声を張り上げた。

「なんで嫌みったらしいいい方すんだよ」
 居間に現れたのは少年だった。
 目が合うと、のどまでこみ上げていただろう言葉を飲みこん
だのがわかる。
 背の高い少年と視線が合うなか、ほかの誰からも感じたこと
のない空気が、彼から流れ出ているのを感じた。
 目を逸らせなくなったが、
「あの、どちらさまですか?」
 怪訝そうな声にはっとさせられる。
「あの、あたし……琴音です」
「はあ」
「ここに住みます」
「はあ? それってどういう意味ですか」
「あの」
 背中がざっと粟立った。訝しげな色をたたえた少年のまなざ
し──それに射貫かれながら、胸が痛いほど高鳴るのを感じる。
 自分が喜びに満たされているのだと、琴音はしばらくわから
なかった。
 あまりに久方ぶりの感情だったから、気づけずにいた。

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