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『他人のいたみ』(日野裕太郎)

判型:文庫版 コピー 16ページ 頒布価格:100円

包丁を拾った。
廃屋の引き出しに隠し、いつしかそれを使って誰かを傷つけることを思い描くようになる。
傷つける理由と、傷つけない理由。
どちらも些末で、どちらも現実につなぎとめる。
ある日廃屋で他人の気配を感じ、屋外に逃げ出すのだが――

【カテゴリ】

短編 | 現代 | サスペンス | シリアス | 読みきり

【サンプル】

 次に目の前を通り過ぎるひとで、決めよう。
 袈裟懸けにカバンをかけた学生が去る足音を耳に、尚はそう
決めていた。
 学生が肩にかけていたカバンのショルダーストラップ、まっ
すぐなラインをまぶたでなぞる。首から腹へ、まっすぐの線を
描く。脳裏で何度もくり返しつつ、手元のスマートフォンに目
を落としている、と見える角度に首をかたむけた。
 あたりの物音に耳を澄ます。
 次に目の前を通り過ぎるひとが、ちらりとでも自分の方を見
たら──殺そう。
 尚は冷たい汗をかいている。古びた机、その引き出しにひっ
そりしまわれている包丁を思い、音が音がするほどつばを飲ん
だ。
 包丁は拾ったものだ。
 粗大ゴミが積まれた山のなかからカラスが引きずり出し、刃
の部分をくわえて飛ぼうとしているところに行き会った──先
週のことである。
 滑るのか重いのか、目の高さまで持ち上がっていた包丁は、
カラスのくちばしから落ちた。
 人気のない道で、包丁は音を立てて地面に転がった。

 尚がそれを拾い上げて持ち去る間、カラスは鳴かなかったし
異議を表す攻撃もしてこなかった。
 この先、誰かが知りたいと思っても、包丁の出所はわからな
いのではないか。
 スマートフォンの電池残量がすくなくなっている。
 次に通りかかったひとがこちらを見たら、気づかれないよう
についていく。相手がどこに向かうか突き止めて、日数を使っ
て行動を把握して、それから殺すのだ。
 それを可能にするものを、尚は手に入れている。
 緊張しながら待ち受けた。
 通りかかった黒く日焼けした男は、尚を一瞥もしなかった。
 膝から崩れ落ちそうになるほど安堵して、尚はようやく登校
する気になった。
 空はよく晴れていた。






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