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『うそつき、祈祷師になる』(日野裕太郎)

【ファンタジー中編】

剣も呪文もない土着系ファンタジー「手業の民の物語」シリーズ。

色々なものを見聞きすることができるが故に、兄は言葉を奪われてしまった。
その兄と対話できる弟のセンも、やはりひとならざるものを、感じる・見える・聞こえる。

縁談話が持ちこまれたセンは心が浮き立つと同時に、相手の家にまとわりつく黒いものを見てしまう。
悩むセンは、祈祷師コイトに預けられている兄のもとに、兄の声を聞きにいくのだった。

■収録作品

「うそつき、祈祷師になる」
 祈祷師になることを決意する弟・センの物語
「静かな場所に満ちる声」
 祈祷師のもとに引き取られた兄の物語

文庫 約78ページ(1ページ 39字詰め 18行)

両親は驚かなかった。
コイトをともなって折り入って話がある、と切り出したセンに、違和感の残るほど両親は始終冷静だった。
兄同様祈祷師のもとに身を寄せ、センはそちらの道に入る、という説明が為される。
静かに息子を送り出すことに了承した両親は、ひとつも異を唱えなかった。
ふたつの顔を前にし、センは両親の態度にひとりで納得していた。
──あれは結末を受け入れた顔だ。
静かに息子を送り出すことに了承した両親は、ひとつも異を唱えなかった。
わずかな着替えを持って、すぐコイトの家に居を移した。
事態の展開がはやくて、センはどぎまぎしている。両親の抵抗や、周囲への弁明があると思っていたのに、そういったものは一切なかった。
「私はね、先のことがちょっとだけわかったりする」
コイトの家にある火霊の祭壇の前で、センは背中をのばしていた。
「きみのお兄さんを迎えに行ったとき、ご両親に話してあるんだ。下の息子さんも近い将来受け入れることになります、って」
目をまるくしたセンに、コイトは明るい声で笑った。
「ここ何年か、先を見るのが難しくなってるんだよ。おそらく引退時が迫ってるんだろうね。いいときに弟子に来てくれた」

【サンプル】

 1
 
 きっかけは、ロッコが笑っていたことだ。
 センが自分に気がついていると察したようで、梢の向こうか
らロッコがちいさな手を振ってくる。
 振り返すことはできず、センはちょっと片頬を上げてみた。
それを返礼と取ったのだろう、ロッコは笑顔で手を振ってきた。
 生前の彼女そのままの笑顔だった。
 高い木の枝の先で踊りながら、ロッコの御魂は自分の葬儀を
見守っている。
 泣き崩れる母親に向かって悲しそうにし、家族を笑わせよう
とでもいうのか、ロッコは顔を歪めおどけて見せた。
 いつもだったら、そうすることでロッコの母親は笑い転げた。
隣家だったのだ、センは何度もそれを目にしている。
 ロッコの家は男の子ばかりが続き、そこに授かった末娘のロ
ッコは、溺愛されていた。
 両親にも、たくさんの兄にも、祖父母にも、ロッコは惜しみ
ない愛情を注がれていた。そして隣家のセンたちにも愛されて
いた。
 愛嬌のある五歳のロッコは、誰からも愛されていたのだ。

 それは不幸が重なったのだった。
 となり村の親類の家に、ロッコは兄たちと出かけた。その村
が流行り病に汚染されているとも知らずに。流行り病といって
も、実際は即座に死に至るようなものではなかった──おとな
であれば。
 ロッコ兄妹はとなり村で病を得た。
 発症した、と悟ったときには、兄妹は帰路のさなかだったそ
うだ。熱に浮かされ嘔吐をくり返すつらいなか、やっと兄妹は
村に帰ってきた。発症した場所がこちらでもあちらでも、医師
のいる環境だったらよかったが、そうではなかったことが最大
の不幸だった。
 病を持ち帰り、隔離される暇もなくロッコは息を引き取った。
 ロッコの葬儀、その参列者のなか、彼女の兄の数が欠けてい
る。となり村に同行した兄たちは、いまだ病から回復しておら
ず、床に伏せっているのだ。
 葬儀を司る祈祷師が、ちらちらとロッコの御魂の方を盗み見
る。一瞬やるせない表情を浮かべ、祈りの言葉に戻っていく。

 センは目を閉じる。
 ロッコを、死者を見てしまうことを、誰にも知られたくなか

った。
 このまま知られずにいれば、と胸に苦いものが広がる。
 
 
 葬儀はつつがなく進行し、始終涙が流されていた。
 涙で洗われるロッコの御魂が笑っていたことを、弔問客たち
は誰も知らない。
 
 2
 
 村の祈祷師であるコイトがやって来て、母の出す茶菓子を口
に運ぶ。
 センはコイトが訪れると、台所の窓のすぐ下でひざを抱えす
わった。
 母と祈祷師との会話に耳をかたむける。
 他愛ない世間話が続き、センが飽きたころにいつも話題は変
わるのだ。
 話題の主はセンの兄になる。
 兄はコイトに預けられていた。定期的にセンの家を訪ねるコ
イトは、兄の近況を報告してくれる。

 「兄」はもう「兄」で、名を呼ぶことは許されていなかった。
 ひとの世で暮らすための名を、兄はもう持たない。
 兄は色々なものを見聞きすることができる、妙な特技を持っ
ていた。
 それは死んだものの御魂であったり、明言しがたい様々な事
象である。
 おさないころの兄は、素直にそれを口に出したそうだ。
 最初は周囲にこどもの戯れごととして扱われた。おもしろい
子だ、と。気軽に異様な物事を口にするこどもの姿はかわいら
しい。しかし成長するなか、兄を白眼視したのは同世代のこど
もたちだった。嘘つきの烙印を押されたのである。そしてそれ
以来、兄の舌はしっかり歯止めされた車輪のように動かなくな
った。言葉そのものを放棄したのだ。うなずくか首を振るか、
それしか意思の疎通をとろうとしなくなっていた。
 まだそのころセンは赤子で、物心ついたときすでに兄は言葉
を捨てていた。
 しかしセンは兄の声に出さない言葉を理解した。理解できた。
 自然と兄のそばに寄り添い、言葉を話そうとしない兄の声に
なろうと努めた。
 無言の兄、それと会話する弟。

 それは周囲の目に異様ととらえられた。
 ただでさえおかしなことを口走る子だ、と同世代のこどもた
ちに異端視されていた兄だ。とうにこどもや近所だけではなく、
村で有名になっていた。それが祈祷師の耳には入っていても不
思議ではなかった。
 冬のある日、十になった兄と六つのセンの前に、祈祷師のコ
イトはやって来た。
 そこにセンも居合わせ、いつものように兄に寄り添っていた。
 兄と祈祷師を引き合わせた母の強張った顔つきは、いまだに
頻繁にセンのまぶたによみがえるものだった。
「ご両親に話はさせてもらったよ」
 垂れた頬肉をさすり、コイトは何度もうなずいていた。コイ
トの見た目は、清潔そうなのに、手入れのされていない山羊を
連想させた。
「うちにいらっしゃい」
 これといった説明も釈明もなく、だが兄はしたがい、そして
祈祷師の家から帰らなくなった。
 出かけていく兄が、無音の声でセンに告げた──おまえは俺
より賢くなれ。
 祈祷師はずっと前から、兄が異様だと見抜いていたそうだ。

そしてそれに兄は気づいていた。
 それまで兄は祈祷師を避け続け、コイトが迎えに現れるまで、
まともに顔を合わせたことは一度もないはずだった。
 そのとき対面することになったのは、兄が逃げなかったから
だ。
 きっと覚悟があったのだろう、弟に伝えることのなかった覚
悟が。
 支えようというセンを、兄はみずから手放したのだ。
 
 
「すこし食が細くなっているが、元気ですよ」
 窓の向こうで、コイトが兄の様子を母に伝えている。
 食欲があまりないこと、依然言葉を話さないこと、本人に祈
祷師になる意思がないこと。それは彼が来訪するたびにくり返
される内容だ。
 コイトは茶をすすり、菓子をかじる。ひざを抱えていたセン
は目を閉じた。
 ──それでは兄さんは。
 強く噛みしめた歯がみちみちといやな音を立てる。
 ──兄さんは、死ぬ気のままだ。

 ずっと兄の胸にあったそれに、センは気がついていた。
 兄のそばから離れずに過ごした日々は、実際兄が自死を選ば
ないように、という見張りも兼ねていた。
 祈祷師が兄を迎えに来て、兄が静かについていって、三年前
のセンは失望すると同時に解放感を与えられた。もう見張らな
くていい、兄が死にたがっているところを見なくていい、と。

 センが気がついているくらいなのだから、祈祷師も理解して
いるだろう。そしてコイトは、兄が死を選ぼうとしたらきっと
止めないだろう。
 兄を好きだが、もうセンには無理になる。
 兄がそうしたいと思えば、おそらくそうなる。
 さみしいが、しかたのないことだ。
 胸に砂が詰まったような心地になったセンの耳に、祈祷師が
家を辞する声が聞こえてきた。
 センは息をひそめ、コイトが帰っていくのを待つ。見送る母
の声を聞き、遠ざかる祈祷師の足音をじっと聞いた。
 自分のいないところで、知らないところで、兄はいつの日か
自死を選ぶかもしれなかった。センは兄に取り残された気がし
て悲しくなったが、実際のところ、家を出ていった兄は死なな

いでいる。
 現れる祈祷師は兄の近況を話し、時折センにも声をかけ、ふ
らりと現れたようにふらりと帰っていく。
 そうやって日が流れていた。
 祈祷師と彼の持ってくる兄のしらせを、センはただ待ちわび
るわけではない。
 働き、眠り、食べ、学び、センの背はのびていく。
 手先はあまり器用ではなかったものの、センの育てる作物は
甘く大きかった。
 センが向いていると思ったのだろう、父は畑の多くを任せて
くれた。
 十三になると、畑仕事の最中にメゴン婆が訪れた。
 メゴン婆は方々の家々で縁を取り持っている。野菜でもほし
いのか、と気軽にメゴン婆の前に立ったセンを、老女は値踏み
するような目で見た。
「あんた、嫁は決まってるの?」
 麦はいくらで売れたか、と問うような、聞いていてあまり楽
しくない声でメゴン婆は訊いてきた。
 気圧されてしまい、言葉が出なくなったセンが首を横に振る
と、メゴン婆はどこか満足そうな顔をして鼻を鳴らす。

「だろうね。だけど、はたらきものなら嫁の来手はある」
 収穫したばかりの作物を積んだ籠を一瞥し、
「畑仕事は得意か。食うに困らない男なら、妙な兄弟のことだ
って飲んでくれるでしょうよ」
「あの」
「お母さんはいるかい? 上がらせてもらうよ」
 畑のずっと先、センの家をメゴン婆はあごでしゃくった。
 これといって言葉のないセンの横を通り過ぎ、メゴン婆は曲
がった腰で踊るように歩いていく。
 ごつい、おっさんくさい、と友人たちにいわれる顔をセンは
なでた。美男といいがたいご面相はともかく、妙な兄弟、とい
われたことにはため息が出た。
 兄さんのことを悪くいうやつなんて、と吐き捨てるような気
持ちは、湧き起こりかけたがすぐ消えていった。
 メゴン婆が姿を現したなら、それは嫁の話があるということ
だ。
 とりあえずメゴン婆に失礼なことをいわれた気がするが、セ
ンは浮き足立ち、土産に持たせる野菜を選ぶため畑に戻った。


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