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道化の沈む夢

『道化の沈む夢』(日野裕太郎・篁ふみ)

大学の先輩に、孤独死した老人の家の片づけを頼まれた亮(あきら)と眞子(まこ)。若い頃はサーカス団の裏方として働いていたというその老人は、生涯独身を貫き、誰にも看取られることなく死んだという。主のいない家を歩き回るうちに、二人は倉庫の中から人骨らしきものを発見する。さらに家の奥へと進んだ二人は、サーカスのテントの中に立っていて――。夢とも現実ともつかない世界に迷い込んだ恋人たちの物語。

【サンプル】

 
 
    1
 
 
 いつまでもふてくされていても、仕方がない。
 気を取り直そうと、眞子は長い息を吐く。
「機嫌、そろそろ直った?」
 横から声がかかって、ゆるみかけていた頬がまた強張った。
「まだ怒ってんの? いいかげん機嫌直そうよ」
 やれやれ、とでもいいたげなあきらの声に、眞子は窓の外に目を
向ける。
「笑った顔の方がいいなぁ」
 亮は大きな声で、白々しくいう。
「怒ってる眞子、なんか怖いなぁ」
 誰のせいだ、とむかつきがこみ上げて、眞子は運転中の亮の
肘をつかんだ。たいした握力ではないが、思い切り力をこめて
やる。
「痛いって! 危ない! やめろよ!」
 車道にほかの車の姿はない。それでも本気で亮が緊張した声

を張り上げる。
 眞子はすぐ手を放した。
「事故ったらどうすんだよ!」
「ごめん」
「怒ってるからって、こんなこと」
「そのくらい怒ってる」
「だから、謝ってるじゃんか」
「本気で謝ってるんだったら、私が怒ってること、なんで責め
るわけ?」
「責めてなんて」
「怒ってもおかしくないでしょ、ねえ」
「……だってさぁ」
「ひとりで行けばいいじゃない。こんなだまし討ちみたいなこ
としないで」
 亮は黙った。
 遠くまで続くまっすぐな車道、反対車線をトラックがやって
来る。
 道のわきには雑草が生い茂っている。誰も手入れをしていな
いのは明らかで、ひたすら広大な空き地には看板のひとつもな
く、誰の敷地なのかもわからない。

 来た道はわきを雑草で縁取られ、この先の道も見渡す限り縁
取られている。
 前方から来るトラックは古いものだった。くすみへこんだ車
体で難儀そうに動く姿は、どうにも老人を連想させる。
 トラックの運転手もまた老人で、まだおたがいの距離がある
というのに、こちらに向かって手を振っていた。
 亮が手を振り返すのと同時に、眞子も振り返していた。
 示し合わせたように手を振った眞子に、亮が「えへへ」と相
好を崩す。
 ゆるみそうになる自分の表情を引き締めようとして、眞子は
失敗した。
 一度笑い返してしまうと、もう怒りを──怒っているふりで
も、それを持続するのは難しい。
 行き過ぎるとき、トラックの運転手が開け放した窓から「デ
ートかぁ」と間延びした声を投げかけてきた。
 振り返り、眞子はトラックへと手を振る。
「田舎のひとって、のんびりしてるなぁ」
「誰か知り合いと間違えてるんじゃない?」
 ──眞子はドライブに行こう、と誘われたのだ。
 見送ったトラックが遠ざかる。前方から来るものはなく、ま

たひどく寂しい風景に逆戻りした。
「たまにはこういうとこもいいだろ?」
「たまにはね。そうね、こういうとこでまったりするんだった
らね、それならいいんだけどね」
「また、そういういい方するぅ」
 わざとらしいうんざり声を出して、それから亮は笑った。も
う眞子が本気で怒っていないことを、彼は理解しているのだ。

 今度は軽く亮の肘をつかむと、眞子は笑った。
 
 
 
 
 自動車免許を取った亮が、社会人の兄から車を安く譲っても
らったのが半年前のことだ。腕慣らしを兼ね、何度かふたりが
通う大学周辺や、交通情報をチェックして混んでいなさそうな
道を選んで走っていた。
 そうこうするうちに、亮が車を所有した、という話が周囲に
漏れてしまった。
 友人知人先輩後輩と、のべつまくなしに車で遊びに行こうと

誘われる。当時は年の瀬だったこともあり、車で初日の出を見
よう、離れたところにあるアウトレットモールの新春セールに
行こう、と誘いはひっきりなしだった。
 一度でも誰かの足になったら、次から断りづらいぞ、と兄か
らアドバイスを受けていた亮は、ぱたりとドライブに出るのを
止めた。車は兄からの借りもので、車で出かけるなら全員で割
り勘にしてレンタカーを借りよう、もちろん運転は交代制だ─
─たったそれだけの提案で、周囲にあふれていた誘いの声が引
いていった。
 それからしばらく、どこに人目があるかわからないから、と
ふたりは車での外出は控えていた。
 進級し新しい環境にも慣れ、一息つけるようになってみると、
春も終盤に差しかかっていた。
 五月の大型連休も過ぎ、しばらくレジャーとはお別れですね、
と残念そうな声をテレビなどから聞いていた矢先、亮からひさ
しぶりに車で遠出しよう、と眞子は誘われた。
 彼氏とのドライブだ、眞子は一も二もなく了承した。
 そして土曜日の早朝から眞子は車の助手席に乗りこんだ。
 天気もよく朝から気温が高めだったので、車の窓は開け放し
て走行した。

 目的地は聞いていなかったが、これまでにもとくに行き先を
決めずに走ったことがあるため、眞子はさして気に留めていな
かった。
 道は比較的空いていた。車はスムーズに走れ、眞子がつくっ
てきたサンドイッチは亮にも好評だった。ラジオをつければ好
きな曲が立て続けに流れた。開け放した窓から入る風は心地よ
く、スカートだったら風をはらんで厄介だったろうが、デニム
パンツを選んできて正解だった。途中のサービスエリアで買っ
た、ご当地名物の奇をてらったおやつは思いの外おいしく、立
ち寄ったトイレはほとんど並ばずに用を足すことができた。
 些細だが運がいいと思うことが続き、眞子は上機嫌だった。
 車内のデジタル時計は一時を過ぎ、しかし車はどんどん先に
進んでいる。
 とっくに景色から高い建物が消えて、車の通行量も減ってい
た。来た時間と戻る時間を頭で考え、眞子はハンドルをにぎる
亮に目を向けた。
「今日って、どっか泊まるの?」



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