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夜に誘うもの ―緊縛の森シリーズ

『夜に誘うもの ―緊縛の森シリーズ』(日野裕太郎・伊藤倭人)

堕ちていく恐怖とそれを超える快感。幻想的でエロティックなホラー「緊縛の森シリーズ」5編を収録。奇妙な祭りに紛れ込んだ一志は、美少女に導かれ…。『からすばのゆうずつ』/“見えるはずのないものを見る力”を持つ和樹は、年上の女子大生・摩耶子に惹かれるが…。『雨隠しの美し雫』/吸血鬼に犯され、圧倒的な快感を知ってしまった雪は…。『夜に誘うもの』/聖域で出会った少女は、男たちの望む姿になれる不思議な力を持っていた。『遊戯にはぜる淡い桃肌』/達樹に近づくため、篤志に抱かれる日々を選んだ藍子だったが…。『あたしの欲しいもの』

【ブログや掲示板で取り上げていただきました】

ブクログ::夜に誘うもの::相沢泉見さんのレビュー
少し色っぽい、官能的なシーンを挟んだホラー短編集。 ・からすばのゆうずつ 烏の化け物は、人とおのれとの子孫を残したかったのか…? 人としての姿はとてもかわいい。この本の中で一番かわいい。

【サンプル】

 
 
 一志は夏の道を歩いていた。
 救いなのは道が舗装されていないことだ。輻射熱がないのは
田舎ならではの恩恵に思われた。しかし田舎ならではの恩恵は、
田舎ならではの建物の少なさで相殺される─日差しをさえぎる
建物が一切なく、一志は眉間から流れ落ちる汗を拭いながら歩
いた。
 なだらかな坂を越えると、乱立する手製の看板が見えて来た。
『地酒てんぐのお神酒ありマス』、『霊験あらたか天狗せんべ
い』、『天狗の木乃伊みいら!? アリマス』……云々。
 過疎化の進んだ村のさみしい田舎道にもかかわらず、看板だ
けがにぎやかだ。
 林業と農業とでは外からひとを呼ぶのは無理な話だ。観光地
にもならない田舎は、さびれるばかりだ。これといって主張で
きるものもなく、あるといえば、昔から土地に根づいている天
狗を崇めた民間信仰くらいのものである。
 一志はふと、あたりが白くけぶっている気がした。霧か。涼
しくなるかな、と期待する。こころなしか、空気がひんやりし
て来た。

 道の先に祖父母の住む村の駐在所が見えた。挨拶をして行こ
うと声をかけたが、応答がない。なかをうかがってみるが、ひ
との気配がなかった。駐在の一家は全員出払っているようだ。

 目をやると、軒先にお膳がしつらえてある。
 光沢のある朱塗りの膳に、様々な食べもの─焼き魚やみかん、
長ねぎ、佃煮、そして土が盛られていた。はじめて目にするも
のだった。
 お膳を訝しがる前に、周囲が濃霧に包まれていることに気づ
く。いつの間にここまでひどくなったのか、と一志はひどく驚
いていた。時刻はまだ夕方にさしかかるころ、半袖からむき出
しの腕が冷えていた。
 数歩先は乳白色の澱に閉ざされている。一志は慎重に進んだ。
 道なりに進めばそのうち祖父母の家に着く、と簡単に考えて
いた。
 霧の合間から顔を見せる民家を、何軒か行き過ごす。一志は
あたりが不自然なほどに静まり返っていることと、どの軒先に
も駐在所同様のお膳が鎮座していることに気づき─それらがや
けに気にかかった。
 一志は眼前の民家の玄関を開け、声をかけた。だが返答はな

かった。この地域では戸締まりの習慣がない。同様に何軒かの
ぞいてみたが、どの家ももぬけの殻になっていた。
 まさか、有事で避難勧告でも出ているのか、と道を進む足が
止まったときだった。
 ─……んばら、
 ─りゅうせ……めぐろうぞ、
 ─がはは、
 声が聞こえた。
 ほっと息をつく。
 ひとならいるではないか。相手の姿を見ようと、一志は目を
こらした。
 ─いかづち……うか、
 ─さぶろうどのはおもどりか、
 ─とらきちはおらぬか、
 濃霧にいくつもの気配が唐突に現れた。
 声も聞こえた。
 老いた声若い声、男女のものが入り交じる─楽しげに語らっ
ている気配は次第に増え、笑いさざめく声は徐々にはっきりし
て来た。
 無人ではなかったという安堵は、何故か生まれなかった。

 足場の不安定な高所から脚下に視線を巡らせるような不安感
があった。ぬぐえない警戒に呼吸が浅くなる。
 息を殺し、一志はじっと声のする方向を凝視した。身を隠す
場所がない事実に、落ち着かない気分にさせられる。警戒する
自分を笑う余裕がなかった。
 ゆら、と霧の一部が淡くなった。
 ゆら、と影が映る。
 いくつもの影が、まるで行列のように続いていた。
 こめかみから、冷たい汗が流れ落ちた。
 頭のどこかで警鐘が鳴っていた。
 ─……をんひらひらけん、そ……か、
 おどけた声がすると、大勢の笑い声が爆発するみたいに沸い
た。
 ゆらゆら、と霧が動く。
 先刻から一志は身動きできなくなっていた。
 ゆら、と霧の向こうで歩くものがいる。ゆらゆら、と霧の合
間から、影がその実を垣間見せる。
 ゆらゆらゆら、と─一志の目に映ったその姿は、尋常のもの
ではなかった。
 犬のかおを持つもの、鳥そのもののくちばしを持った貌のもの

背に羽の生えたもの─人と鳥と犬が混在した姿。
 ひとならざるものが、人語を発する不思議が解せない──受
け入れられない。
 彼らの体格も様々だった。
 一志が頭上を軽くまたげそうなほど小柄なものがいる。また
それなりに背丈のある一志が、首をのけぞらせて見上げねばな
らないほど、大柄なものもいた。
 修験道の山伏に似た格好をしたものや、晴れがましい紋つき
袴を身に着けたもの、またあでやかな模様の和装の一団が─異
相ながら楽しげにしているのがわかった。山中を行く桃や空色、
もえぎのうちかけのあざやかな色は、浮き世離れした美しさだ。
続くのは黒地に大輪の花があしらわれた振り袖姿のもので、そ
れを見て一団に男女の区別があるのだ、と一志は驚いた。
 いずれにしても時代錯誤な装いで、質の悪い冗談のようだ。
(見つかったら俺、食われる……?)
 自分がこの悪夢めいた状況から、無事日常に戻る方法を考え
る。
 気づかないうちに、一志はゆっくりと歩を後退させていた。
すり足でゆっくり動く。呼吸を止め、悟られないように。汗を
吸ったシャツが重く感じられた。

 生まれてはじめて、一志は神仏にすがりつきたい心持ちにな
っていた。すっかり気持ちがくじけている。
 かかとがなにかに当たった。
 かつん、と障害物が立てる軽い音─がちゃがちゃと食器のぶ
つかる音。全身が耳になったいまの状況では、恐ろしいほどの
騒音だった。確認せずとも、それがさっき軒下で見たお膳だと
わかった。
 頼む、と心中で叫んだ。気がつかないでくれ、逃がしてくれ、
と。
 短く浅い、忙しなくなった呼吸のなか、もよおす吐き気を必
死でこらえた。
 一志は白い澱を見つめていた。
 霧の合間で烏の貌をした化生が一志を見ている。
 橙の直衣をまとった姿は冗談めいて面白いが、いまの一志に
は笑えるはずもない。
 目が合った。
 まさしく─目が合った。
 円形の目がまっすぐに見すえて来る。感情はうかがえない。
きょとんとした鳥類の表情のまま、指差すかたちに手が差し上
げられた。

 食いものがあるぞ、といわれた気がした。
(食われる!)
 悲鳴を上げまいと、とっさに手で口をふさぎ、一志は走り出
した。
 肩にかけていたナップザックをふり落とし、かえりみること
なく一志は走った。
 
 
 逃げこんだ家も無人だった。
 茶の間の箪笥と壁の隙間に身を埋め、かたむけたちゃぶ台を
盾にして息をひそめる。
 冷えた身体からいやな汗がふき出す。
 玄関からがたがたと音がしていた。
(みんな食われたのかな……)
 ひた、と廊下を歩く軽い音がした。心臓が跳ね、全身が脈打
つ。
 ひたひたひた、と茶の間に近づいて来る。武器もなにもなく、
一志は混乱のあまり頭が真っ白になった。ちゃぶ台にしがみつ
き、まぶたをきつく閉じた。
 茶の間の戸が開いた音がした。

「……なにしてるの?」
 やわらかく、うかがう─予想外の声に目を開ける。
「隠れてるつもりみたいだけど……丸見えだよ」
 淡い水色の地にあざやかな紅の金魚模様の浴衣を着た少女が、
一志のナップザックを持って立っていた。小さな頭をかたむけ、
丸い澄んだ目で一志を見ている。
「大丈夫?」
 言葉も思考も空回りし、声もなく動けもしない。
 少女がちゃぶ台を片づける姿をただ眺める。肩紐をにぎらせ
られナップザックを持つよう少女にうながされても、一志はさ
れるがままになっていた。
 そんな一志に思考能力を取り戻させたのは、かすかに触れた
少女の手の温かさだった。
「具合悪いの?」
「あの……アレ、見た?」
 小首をかしげたままの少女に膝でにじり寄ると、一志はささ
やき声でいう。少女と自分がここにいると、おもてのやつらに
微塵も知られてはならない。そう思う一志の前で、少女は遠慮
ない大きな声を出した。
「アレって?」

「ちょ、ちょっと、声、もうちょっと小さくして─その、変な
格好したやつら……なんだけど」
 少女を前にしていると、さっき自分が見たものが、すべて幻
覚に思えて来た。
「お祭りのこと?」
 不思議そうに自分を見返す瞳に、思考が一瞬停止した。
 そうか、と合点が行くと、一志の顔は火が噴くみたいに赤面
する。
「祭り……?」
 目に涙が浮かんだ。脳裏の化けものの群れ─仮装行列、とい
う言葉が、指差して自分を笑っているように感じた。
 少女は祭りは百年に一度の秘儀なのだといい、外部のものの
立ち入りは歓迎できないという旨を、一志の目をのぞきこみ説
明した。一志の混乱を知ってか知らずか、子供にいい聞かせる
ような口調だ。少女からはかすかな芳香が漂って来ていた。
「連絡もしないで来ちゃったから……そっか、祭りかぁ」
 安堵すると、腹の底から笑いがこみ上げた。じっと一志を見
つめる少女の前でひとしきり笑うと、次に気恥ずかしさが訪れ
る。
「荷物、わざわざ持って来てくれてありがとう。俺、倉部一志

っていうんだけど」
 目を逸らすには、ナップザックの存在はちょうどよかった。
「くらべ?」
「うん。じいちゃんたちがこの先に住んでるんだ。知ってる?」
















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